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自衛隊怪談「私物庫」

30年以上前の某駐屯地の話。

戦車連隊一個連隊が別の駐屯地へ移駐してしまったため、空いた隊舎へ一部の中隊が引っ越しした。

その隊舎の4階というか屋根裏は「私物庫」として使われていた。
泥棒の多い自衛隊なので普段は鍵をかけられ、有刺鉄線で仕切りられた所に私物が置かれていた。

演習グッズ等も置かれていたので演習があると取に行ったりしていた。
自衛隊ってところは整頓が美徳でうるさいので、かさばる物は私物庫に入れておくのが無難ではあった。

引っ越ししたばかりの頃3階に住む隊員が「ここの屋根裏部屋の私物庫さ、頻繁に人の出入りがあるのか結構うるさいのよ、夜中に走り回ってる足音もするしさ、深夜に宴会でもしてるのか?ってくらい騒がしいこともあって、見に行ったら誰もいないんだよな」と言う話をよく聴いた。

気味の悪い話ではあるが、この隊舎へ引っ越ししてからその手の話は珍しくなく、一階の娯楽室にはもっと出るという話もあったり、まぁ自衛隊あるあるで、元居た部隊が引っ越しの際に完璧に掃除して立ち去った結果、幽霊封じの御札まで剥がして行ったため幽霊が出るようになったのだ。

まぁ我々も同じことをして引っ越しして来ているので文句は言えないのだが・・。

その三階の部屋で部屋替えで私も住むことになった。
3階はちと階段の上り下りが面倒なのだが、以前のように狭い居室に大勢の隊員が押し込められるようにして生活していたのに比べたら天国ではあったので贅沢は言えない。

古参隊員とも言える地位でもあったので、外出は比較的自由であったし、営内班で寝泊まりせず、外出して下宿に泊まり翌朝帰隊する身分であった。
平成初頭に実施された隊員の処遇改善で行われた「輝号計画(きごうけいかく)」のお陰だね。

それでも隊舎に泊まることもある。
深夜の消灯後に天井から人が複数走る足音が響く、「なんだよこんな夜更けに、屋根裏で宴会でもして騒いでいるんか?」とも思った。
他の後輩隊員はこんなにうるさいのに寝ている。

銃剣道と木銃

懐中電灯と用心のため銃剣道の木銃を持って屋根裏部屋へ行って文句言ってやろうとしたら、すぐ下の後輩に止められた。

「こんなの毎晩ですよ、気にしちゃダメです、聴いたことないですか?屋根裏の私物庫に幽霊が出るって、走り回ったり足音がうるさいって話」と言われて「そういえば中隊が引っ越して来た頃にそんな話聴いたな・・・これか・・」と思った。

それでも本当か見て来るよと言ったら、後輩も「実は自分も気になってはいたんです一緒に行きます」とベットから起きた。

奴は銃剣道が得意ではあったが木銃はさすがに持たなかった。
「何も持たないよりはちょっと安心するぞ」と私は言ったが「幽霊に木銃なんて意味ないですよ」と笑った。
私は急に恥ずかしくなって木銃を置いた「そうだな」と言ってL型懐中電灯の赤い遮光板を外して屋根裏部屋へ向かった。

屋根裏部屋へは階段を登り鉄の扉を開ける。
真っ暗だ、人の気配なんてしない。
窓も無いので昼間でも暗闇だが・・・・電気は裸電球があるが消灯後なので電灯は点けない。

ちょっとした心霊スポットの肝試しみたいな感じだ。

しかし、宴会をしていた気配も痕跡も無い、ただ闇があるだけであった。
「人が居ても怖いからこれでいいね」と後輩に言って早々に撤退した。

営内班に戻ると後輩の隊員がみんな起きていてぞっとした。
「なんだよお前ら、寝てないで、なんで起きてるんだ」と部屋の最先任の私は叱った。

「いや・・・天井の音が物凄くうるさくて、宴会か運動会でもしてるのかってバタ、バタ大きな音と笑い声がするんですよ」と・・・・「今俺達が屋根裏の私物庫を点検して来たが誰もいなかったし騒いでも無いぞ」と言ったら「やっぱり・・・・怖いよな・・・」と言うので「怖くない怖くない、何もいなかったの確認したから大丈夫だ明日も早いから早く寝ろ」と言って寝かせた。

天井からは相変わらずドタバタと足音がしていた。

ベッドに入って思った「何もいなかったのって逆に怖くないか?何か居ても怖いけれど」と思ったら一睡も出来なかった。

屋根裏部屋には御札とかそういうのは一切無かったのも一因なのかな?

私は極力営内には寝泊まりしないことにした。

そこの隊舎からほどなくしてまた引っ越ししたので、その後のことは知らない。


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戦車兵
チップありがとうございます!!無理なさらず御覧頂けたら幸いです。