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226事件 兵に告ぐ全文
2.26事件で有名な「下士官兵に告ぐ」のビラである。
決起した青年将校の一番の罪は、天皇陛下の軍隊を天皇の命として部下に命じ要人を暗殺、部下の下士官兵に賊軍の汚名を着せてしまったことだ。
天皇は反乱軍に対し激怒し、「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き兇暴の将校等、其精神に於ても何の恕すべきものありや」「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて、朕が首を締むるに等しき行為なり」と鋭く批判し、ついには「朕自ら近衛師団を率ひ、此が鎮定に当らん」とまで述べた。
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昭和11年2月29日午前5時10分に討伐命令が発せられ、午前8時30分には攻撃開始命令が下された。
戒厳司令部は近隣住民を避難させ、反乱部隊の襲撃に備えて愛宕山の日本放送協会東京中央放送局を憲兵隊で固めた。
同時に投降を呼びかけるビラを飛行機で散布した。
午前8時55分、ラジオで「兵に告ぐ」と題した「勅命が発せられたのである。既に天皇陛下のご命令が発せられたのである…」に始まる勧告が放送され、また田村町(現・西新橋)の飛行館には「勅命下る 軍旗に手向かふな」と記されたアドバルーンもあげられた。
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また師団長を始めとする直属上官が涙を流して説得に当たった。
これによって反乱部隊の下士官兵は午後2時までに原隊に帰り、安藤輝三大尉は自決を図ったものの失敗した。
残る将校達は陸相官邸に集まり、陸軍首脳部は自殺を想定して30あまりの棺桶も準備し、一同の代表者として渋川善助の調書を取ったが、野中大尉が強く反対したこともあり、法廷闘争を決意した。
この際野中四郎大尉は自決したが、残る将校らは午後5時に逮捕され反乱はあっけない終末を迎えた。
同日、北、西田、渋川といった民間人メンバーも逮捕された。
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