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私と士魂戦車大隊
私の祖父は終戦時に北千島の北端にある占守島で戦った。
ソ連軍による火事場泥棒で昭和20年8月18日のことだ。
日本はポツダム宣言を受諾して終戦と思っていたらソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して占守島に上陸してきたのだ。
占守島には有名な池田末男大佐が率いる戦車十一聯隊が駐屯していた。
他にも後備役ながら歴戦の兵が駐屯していたことは余り知られていない。
アッツ島からキスカ救援のために派遣され、キスカ島の無血撤退作戦で帰還した部隊も占守島に居たことはほとんど知られていない。
占守島で奮戦した戦車十一聯隊の戦車の砲塔に「士」のマーキングがあった。
十一で「士」で「土」ではない。
戦車連隊時代に士魂じゃなく穴掘りばかりしているから「土魂」だと揶揄したものだが、後に私も士魂の戦車に乗ることになるとは・・・。
陸上自衛隊第十一師団第十一戦車大隊(当時、今は十一旅団十一戦車隊)は当時戦車6個中隊本部管理中隊と7個中隊の世界最大の戦車大隊であった。
その十一戦車大隊は士魂戦車大隊と称していた。
戦車の砲塔に「士魂」の文字がマーキングされていたからだ。
占守島で戦った戦車十一聯隊の精神を継ぐということで昭和40年代に十一戦車大隊の幹部が戦車十一聯隊の生き残りの将校の自宅へ行き了承してもらったという。
その元将校が大隊の戦史講話で講演したのをよく覚えている。
士魂の精神は陸曹候補生の二次試験の面接で「士魂の由来とは?」と質問されることもあり、大隊の隊員なら答えられて当然の話だった・・・はずである・・多分・・・私は知ってたけれど・・・あいつは・・・まぁいいや知っていたことにしておこう。
私は祖父が占守島で戦ったのを祖父を訪ねて来た戦友から聴いて知った。
シベリア抑留で一緒だった人でキスカの無血撤退の生き残りであったが、戦車の生々しい戦闘の話とか初めて聴いた。
私が小学生の頃である。
当時から戦史に興味があっていろいろ聴いた覚えがある。
戦争体験を戦争体験者から聴くのもよくやっていたので楽しく聴いた。
そんなこともあって士魂の戦車は感慨深いものがあった。
当時、駐屯地には61式戦車が常設展示してあったが、士魂のマーキングをしているのは戦車大隊の戦車であると戦史研究家にして戦車大隊長の葛原大隊長の命令で雪が降ると除雪していたり、士魂の精神を叩きこまれたものだ。
残念ながらそんな61式戦車も廃棄され現在はないし、戦車大隊ももうその駐屯地には駐屯していない。
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