見出し画像

怪談「八甲田山雪中行軍隊の帰還」

八甲田雪中行軍遭難事件は1902年、日露戦争を想定した冬季の演習であったが、第八師団青森歩兵第五聯隊雪中行軍隊210名中199名が死亡(内6名が救出後死亡)という近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故である。
同じ第八師団の弘前三十一聯隊雪中行軍隊は小隊編成で五聯隊より行軍日程も長く雪中行軍を踏破した。

映画「八甲田山」でも有名な八甲田雪中行軍遭難事件であるが、原作となった新田次郎の「八甲田山死の彷徨」の「取材ノート」に書かれてある怪談がある。

一部を抜粋する。
『雪中行軍隊が遭難した直後には、しばしば亡霊の足音が聴こえて、衛兵を恐怖のどん底に叩きこんでしまったという。あまりに騒ぎが大きくなったので、一夜、聯隊長は衛兵詰所に着て亡霊を待った。明け方近くなって、衛兵が顔色を変えて走って来て亡霊が近づいて来たことを告げた。連隊長は営門に立った。確かに、田茂木野方面から、近づいて来る部隊の足音を聞いた。聯隊長は声を張り上げて怒鳴った。

「雪中行軍隊の亡霊たちよ、よっく聞け、お前らの死は無駄ではなかった。お前等の死によって、厳寒期の軍装は大改革されることになったぞ。お前達は戦死者と同様に扱われ、靖国神社に合祀されることになったのだ。迷うな、心安くして眠れ。二度とこの屯営に現れることはこの聯隊長が許さないぞ」

そして聯隊長は軍刀を抜いて、「青森歩兵第五聯隊雪中行軍隊、廻れ右前へ進め!」
と号令を掛けた。足音は次第に遠ざかって行った。

爾来一度も亡霊の足音は聞こえなかったそうである』

「八甲田山死の彷徨」新潮社刊 新田次郎著「取材ノート」より抜粋。

八甲田山の怪談は「新耳袋」の中山市朗先生がとても詳しい。

現代でも八甲田雪中行軍の怪異は続いている。

いいなと思ったら応援しよう!

戦車兵
チップありがとうございます!!無理なさらず御覧頂けたら幸いです。