声の意味

本日の夜。
お好み焼きが食べたくなり、材料も揃っていたことから、晩酌にビールを片手に、そして今日は、再始動したリンキン・パークを聴きながら作っていた。

始めに、先日開催されたライヴ音源を聴きながら。
私がボーカルにエミリーを迎えたリンキン・パークの再始動の話を聴いたのはラジオであり、その歌声もラジオから届いた。
リンキン・パークの曲と相性のある声質で、違和感がないとさえ思った。

しかし、チェスターが歌うリンキン・パークのこれまでの曲の数々を聴いていたら、違和感が生まれてしまった。
否定するわけではないが、やはり、リンキン・パークのボーカルはチェスターであり、代わりはいない。
エミリーが歌う曲はリンキン・パークのカバーとしてしか捉えることができなくなった。
失礼にも程があるのは承知している。

ドラムやギター、ベースの音の代わりはあるが、声の音の変代わりは、やはりいないと思う。
フジファブリックの志村さんがそうであるように。

だから、わたしは再始動したリンキン・パークは自ら聴くことはないんだろうなと思う。
聴くと、そうではないと腹が立ってきそうだ。

チェスターの声や歌い方は、どこかONE OK ROCKのタカに似ている。
リンキン・パークが好きだからONE OK ROCKを好きになった訳ではなく、その逆でもない。
たぶん、声の魅力に惹きつけられ、バンドの音が私の好む感じであったからだ。

その人だけが持つ声は、本当にどうしようもなく変わりはきかない、唯一無二である。

リンキン・パークは潔く解散した方がよかった、と勝手ながらに思う私は、心が狭く、そして頑固だなと思う。

思えば思うほどに、聴けば聴くほどに、まだ折り合いがつかない私は、どうしようもない客である。


2024/09/12

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