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浪漫主義の幽霊と僕

はじめに

 この短い評論は今年の2月末、とある雑誌の読者投稿として送ることを目的にして書いたものだ。しかしこれを書いたのち僕は心身の調子を崩し、ここで出した結論と自分の立場の相違を悟った。「ドイツ浪漫主義」とは異なるが、自身のロマン主義的な傾向は否定できず、その限界からは逃れられないし、逃れようとも思わない。なお、結論こそ同意しかねるが、過程における論理は基本的に、今でも考えは変わらない。

本文

 僕の尊敬するとある方が以前、このような主旨のことを仰られていた。すなわち美空ひばりの「川の流れのように」以来、日本の歌からは交換不可能な土着性、つまり具体的な風景が失われたと。秋元康がニューヨークで作詞したことは有名だけれども、流石にアメリカの風景を歌詞に反映させるわけにはいかない。この曲が発表されてから約十年後に生まれてきた僕は、知らず知らずのうちに抽象的な歌詞を好み、抽象的にものごとを考えるようになっていた。己の傾向を否定することはできずとも、その不健康さを自覚しておくことは重要に思われる。

 近代という時代の特徴をかんがみるに、この流れは必然だったのかもしれない。前近代的な世間の否定の上に、社会は仮構される。土地に根づいた関係を抑圧、個々の具体性を「等価」交換の原則へ回収し、経済の時代としての近代は始まる。我々の前に現れる風景が抽象性を帯びてくるのは無理もなかろう。

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