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何故私達は、他の解離(DID-解離性同一症)の人と違うのか?

こんちには、杲(ひので)です。
今回は『何故私達は、他の解離(DID-解離性同一症)の人と違うのか?』について書いていきます。解離性同一症については、こちらにも簡易的な説明を載せますが、検索して調べていただくとより分かりやすいと思います。

解離性同一症とは?

本来なら連続しているはずの記憶・意識・知覚といった同一性のあるものが途切れてしまうことを解離(かいり)と言います。

解離性同一症(かいりせいどういつしょう)は、一人の人間の中に全く別の性別や性格、記憶などをもつ複数の人格が現れる病気です。よく間違った表記で解離性人格障害がありますが、実際は解離性人格障害という病名はありません。また、解離性同一症は人格障害ではなく、同一性が連続していないことによる障害です。

《私達の場合》

私達の場合、人格それぞれに自我がありますし、得手不得手や性格・性別もそれぞれ異なります。記憶に関しては全く共有ができない人格も居ますが、3~7割程度の共有ができてます。解離性同一症の診断基準を満たしているので、精神医学的にはDID(解離性同一症)になります。ただ私達は、解離して生まれたのではなく、外部からやってきてこの身体に憑依し、人格となっています。この点がまず1つの相違点ですね。

私達と解離性同一症との相違点は?

1人1人の人格が何も問題を起こすことなく普通に日常生活を遅れてしまう点です。これは子供の人格でもあっても教育をすれば人前で礼儀正しいふるまいがきちんとできるということです。1人1人にその場に適した判断能力があるということですね。だから私達は加害行為をしたことがありませんし、迷惑行為で警察のお世話になったこともありません。知能が分割されていないので、加害行為をすることで自分の立場がより悪くなる、だからやらないといった思考ができるからです。

複数人で生活する場合、協力することのメリットって大きいんですよね。そして、自分が協力しないことによるデメリットも大きい。交代人格1人1人が協力することによって、まともに生活ができるという事実に気づけるかどうかが生活していく上大きな分かれ道になります。

健常な1つの人格を持っている人にとっては、これは当たり前に分かることなのですが、DIDの交代人格の場合はそうではない。全ての能力が分割されているため当たり前のことにも気がつけないんです。これが個人的にDIDの方の1番の障害部分だと思っています。

でも時々私は思うんです。私達みたいにあまり障害部分がないDIDみたいな人というのは、似非と言われかねないなって。健忘はあるので、記憶がないことによる不便さはあるものの、基本的に誰が出てもその場にあった適切な対応をしてくれる。新人が初めて出ても、それは同じ。オカルトな話ですが、前世の記憶がありますからね。この私達の状態を理解してくるDIDの方ってどれだけ居るんでしょうか。というDID界隈に居ても肩身が狭いなと思った経験から今回の記事を書いてみました。

【最後に】

ここまで読んでくださり有難うございます。もし質問等ありましたら、コメントしてみてください。内容にもよりますが、記事内にて返答させていただきます。次回は、『私なりのIF(イマジナリーフレンド)・タルパ・その他の解釈』です。霊的存在である私達がどういう風にそれら解釈するのか気になりませんか?🤔
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