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【対談】「社会教育」ってなに!?
「ひのりす君」が所属している、ひの社会教育センターは、開所51年になりました。社会教育の実践機関として位置づけられてきましたが、時代と共に関わる人もまた変化し、3世代を超えて利用されている場所になっています。
時と共に変化することと、変わらないもの。社会教育とは何なのか、社会教育に求められることは何なのか…こうした話題について、現場で日々活動に向き合う職員と、この分野を専門的にご研究されている、東京都立大学の荒井文昭教授との対談をお届けします。
職員寺田:ひの社会教育センター(以下、センター)は「社会教育の施設」ですが、そもそも社会教育とはどういうことを指すのでしょうか。
荒井教授:いきなり逆の質問をしますが、「社会教育とは何か」と言われたら、どう考えていますか?
寺田:センターの関係者それぞれでもいろいろな社会教育の捉え方があってまとまらないです。(笑)
荒井:個人の想いと理屈というのは一枚岩じゃない。自分自身でもずっと葛藤しています。でも、これまでの実践やその歴史、社会の情勢などを含めていくと、理屈について言えることがあるわけです。
職員山本:私は以前、美術館の職員をしていました。美術館も社会教育施設の一つなのですが、美術館での教育普及や生涯学習というものを勉強するなかで、「成績やテストのためになりがちな学校教育の他に、自分が好きなことを生涯学び続けられる場所があるって、なんて魅力的なんだろう」と思いました。
美術館では「どうやって多くの人に来てもらうか」を日々考えていたのですが、そのときに気づいたことは、まずは「教育」というものがないと、そもそも「美術館に来たい」という子どもも育たないし、その先の大人も来ない。そのために、学校教育はもちろん、家庭教育、社会教育というものの必要性を強く感じました。
ちなみに、大人の来館者から一番よく質問されたのは「どれが一番高い絵なの?」ってことでした(笑)
荒井:興味を持つ入り口としてはいいかもしれないですね(笑)
山本:もっと暮らしに身近なところで、文化意識や感性を育み合えるような社会教育を考えられたら面白いのではないかと思うんです。
今、様々なカルチャーセンターやカフェなどのワークショップでも、魅力的な学びがいっぱいあります。それはそれでいいことだし、それも一緒に高めあいながら、社会教育センターは今後どうあるべきかを考えていて…
荒井:いやぁ、これは深い問いですねぇ…(笑)
寺田:僕は社会教育を捉えた概念はいくつか聞いたことがあります。ある時は「学校教育、家庭教育、それ以外の教育は全て社会教育」と聞き、またある時は「何かを学ぶことを生涯学習、学んだことをなんらかの形で発信するプロセスが社会教育」と教わり、またまたある時は「課題に対して、考えや意見をもつことが社会教育」だという概念も登場し、社会教育の捉え方に右往左往しています。
また、よく「カルチャーセンター」と「社会教育センター」は同じなのか違うのかということが議論になります。自分たちでは、違うものだととらえていますが、それが何かと問われると悩むところもあります。「スタッフの人数が多いからかなぁ」とか「ちょっと付き合いが泥臭いからかなぁ」「大人が子どもの成長にずっと付き添っているからかなぁ」とか…
荒井:たしかにね、そのワードはありますね、特徴を示していますね(笑)
寺田:「社会教育的な」「センターっぽい」という言葉はよく飛び交いますが、これが何なのかは、実は我々もよくわかってないのかもしれないです。
荒井:それって面白いですね。でも、「センターっぽい」がキーワードな気がします。それを今度は理屈化して、利用者や職員、研究者と対話を進めていって理論化を進めていく時ではないかと思います。
実践から裏付けられた理論や、実践によって鍛えられた理論は強くて、そういった視点からもセンターではすごい実践をされてきているわけです。ただその自覚がまだ職員の方々には弱いようですが(笑)
山本:利用者の方と「社会教育センターの魅力って何だろうね」という対話をこれからも進めていくことが必要なんですね。
荒井:自由主義的な政策によって、「自分たちでその場を創っていく」というよりは、消費者意識が強くなり、相互に監視しあうようになってしまって、どんどん他者に求める条件が厳しくなっているように思います。でも、「社会教育とは何か?」ということを職員は理解してほしいし、利用者の方にもぜひ考え続けるようにしてほしいなと、この分野を研究している者としては思います。
ー社会教育(教育)は、「学習する権利」を下支えする仕組みー
荒井:私の理屈で言えば、「社会教育とは何かとは、教育とは何か」を問うことになります。日本国憲法26条では、「教育を受ける権利」は基本的人権であることが規定されていますが、それは「学習をする権利」だと最高裁の判例でも国連でも認められているものです。なぜ学習が必要か
ということですが、「人間は生まれながら自由で平等だ」という理念が18世紀に宣言されて今の近代社会があります。ただ、いきなり「人間自由だ」と言われてもみんな困るわけですよね。(笑)
自分らしく自由に生きるために欠くことができないのが、生涯にわたって「学び続けること」であり、社会がこれを保証することなんですね。だから学ぶことが20世紀になって基本的人権になってくる。
そのときに大事なのは、あらゆる人の「学びたい」を受け入れ、学びを助言して、支えることです。「そこへいけば信頼できる職員がいる」ということなんだと思うのです。市民の身近なところに、そのための助言やネットワークを持っているのが、社会教育センターの特徴だと思います。
誰しもが等しく持っている「学ぶ権利」を生涯にわたって支える仕組みが社会教育であり、社会教育センターという場がその役割を担ってきていると思います。センターって、なんか「昔の公民館」のような雰囲気ですよね(笑)
山本:「社会教育」を取り巻く課題やこうした話題を、研究者である荒井先生と現場で日々向き合っている職員で不定期にディスカッションをしていきたいと思っています。記事を読まれているみなさんともぜひ一緒に考えていきたい話題だなと感じました。今日はありがとうございました。
(話し手)
荒井 文昭(あらい ふみあき)教授
プロフィール 専門研究分野:教育政治研究、教育行政学
所属 東京都立大学 人文社会学部 人間社会学科 教育学教室・人文科学研究科 人間科学専攻 教育学分野
研究テーマ
1. 教育政治の研究(誰が教育を決めてきたのか、誰が決めるべきなのか)
2. 学校づくりと地域づくり(構造改革下における教育行政の動態調査)
3. アジア・オセアニアにおける教育自治のあり方
※この対談は、2020年2月に実施されたものです。