【ひのはら人#3】村内で次々に新しい事業を手掛ける1児の母(Y.Wさん)
私がWさんを知ったのは、檜原村に移住する前。ネットで檜原村について調べるなかで、会員制アウトドア森林フィールド「MOKKI NO MORI」や檜原村の自然をフィールドにした親子向けスクール「ちきゅうのがっこう」など、Wさんによる取り組みを知り、「面白そうな事業をいくつも仕掛けている人がいる!」とワクワクしたのを覚えている。
そして移住後、実際にWさんにお会いすると、好奇心も行動力も旺盛で、どこでも活躍できそうな人だという印象を強く受けた。そんなWさんが事業の、そして子育てのフィールドとして、檜原村を選んだ理由とは?そしてWさんが思う、檜原村の魅力とは?インタビューの機会を利用して、Wさんに根掘り葉掘り伺ってみた。
移住の決め手は、東京近郊で一番綺麗だと感じた自然環境
Wさんはもともと大手監査法人に勤めていたが、妊娠・出産を機に退職。その後、カメラマンだった祖父の元で写真を学んだ経験を生かしてフォトスタジオを自らオープンし、自然体験と写真撮影をセットにしたサービスを提供していた。
そんなWさんが檜原村と出会ったのは、自然体験を開催するフィールドや家族での旅行先として、奥多摩や秩父など、当時住んでいた東京都福生市からほど近いエリアを回っている時だったという。
Wさん「山が迫っている感じや、周辺地域よりも段違いに綺麗な川に魅了され、自然環境の面では檜原村がこのあたりで随一だと思いました。私は高知県の四万十が大好きなのですが、檜原村は四万十と風景が似ているとも感じましたね」
また、Wさんは福生市に住んでいた頃から、娘さんを檜原村にある「里山保育 やまっこかわっこ」に通わせていたという。
Wさん「自然環境を活用した幼児教育を行う幼稚園を探していて、福生市から通える範囲だと、日の出町や日野市、そして檜原村にあったんです。教育の内容は入ってみないとわからない部分も多かったので、一番自然が綺麗なところに通わせようと思い、やまっこかわっこを選びました」
そうして檜原村をたびたび訪れていた最中、新型コロナウイルスが流行し、旦那さんの仕事がリモートワークになった。これまでは旦那さんの通勤が移住の大きな壁になっていたが、通勤の必要がなくなることが分かり、すぐに檜原村の物件を探し始めたという。するとタイミングよく賃貸物件が出ており、契約に至った。それが現在Wさんが暮らす、檜原村藤倉地区の一軒家だ。
自分のやりたいことを、次々に事業として実現
Wさんは現在、写真撮影サービスに留まらず、自然体験×オルタナティブ教育をテーマにした親子向けスクール「ちきゅうのがっこう」を開催したり、村内の林業会社・東京チェンソーズと共同で会員制アウトドア森林フィールド「MOKKI NO MORI」を立ち上げたりなど、活動の場を広げている。
Wさん「親子で山を使う体験を提供したいと考えていた時に、チェンソーズの代表・青木さんと知り合う機会があったんです。自分たちで檜原村の急峻な山を買い、整備するのは現実的ではなかったので、チェンソーズが持っている山の一部を借りて、自然体験をさせてもらうことになりました。そこで現在開催しているのが、ちきゅうのがっこうです」
ちきゅうのがっこうは、毎月一度、家族で檜原村のフィールドに通い、村の自然と四季に寄り添いながら活動する半年間のスクール。森林内での道づくりや、渓流の環境整備、気になるモノを追い求めながら自由に森を散策する「Feel度Walk」などのプログラムを、それぞれの道のプロに習いながら実践する。都心を中心に、各地から申し込みがあるという。
Wさん「また、青木さんと関わりを深めるなかで、『畑のシェアはあるけど、山のシェアはないよね』という話になって。その後、『山もみんなでシェアしてキャンプや間伐ができたら面白いよね』『色々な人にチェンソーズの山に入ってもらえるような仕組みを考えよう』と話が膨らんでいき、MOKKI NO MORIが生まれました」
MOKKI NO MORIは、会員になればフィールド内でのキャンプや、山仕事、ヨガなどの体験プログラムを楽しめる「山のサブスク」サービス。2021年にスタートし、現在は100名以上の会員がいる。週末のたびに訪れる会員の方もおり、檜原村が会員の方々にとっての第二のふるさとのような存在になっているのを感じるという。
Wさん「せっかく会社員を辞めてフリーになったからこそ、自分が楽しいと思える働き方を模索したいと思っていて。お陰様で、仕事はとても楽しいです!収入面では会社員時代の方が安定して稼げてはいましたが、子育てで仕事に使える時間に限りがあるのを考えると、実際はあまり変わらないのかも、とも思います」
自分らしい子育てができる?檜原村の子育て事情
自分のやりたいことを次々に事業として実現しているWさん。子育てとの両立はどうしているのだろうか。
Wさん「正直、家事は回りきっていないことも多いですよ(笑)。でも、子育てをしていたら回らないのが当たり前だと思います。都会暮らしでも田舎暮らしでも、それは一緒。
でも田舎暮らしの場合は、他の家庭との比較になりづらいので、精神的にはだいぶ楽ですね。都会で子育てをしていると、子供に綺麗な格好をさせなくちゃいけない、自分も身なりを整えなきゃいけないと、何かと気を遣ってしまうことが多いんじゃないでしょうか」
確かに人が多い場所では、人との距離が近いからこそ、自分と人とを比べてしまいがちかもしれない。一方で人口密度の低い田舎では、それぞれの人が伸び伸びと暮らしている印象を受ける。現在檜原村で地域おこし協力隊として働いている筆者も、都心から檜原村に移住してから、自分と人とを比べることが減った実感がある。
Wさん「人が多いと、どうしても評価軸が『対人』になってしまいますが、田舎では評価軸が『対自然』になる。そうすると、だいぶ楽になるんじゃないかなと思います。
また、自然の中を歩いていると、『1つとして同じものはなく、様々なものが適材適所で、支え合って生きているんだ』ということが感覚的にわかってくると思うんです。石に生える苔もいれば、土に生える苔もいる。苔は、他の苔と自分を比べて『僕も土に生えなきゃ』なんて思ったりしない。みんな、自分たちが生きられる場所にいるだけなんです」
他者と比べず、自分らしく生きる。昨今いろいろな場所で叫ばれているそんなメッセージも、自然に親しんで過ごせば、おのずから学べることなのかもしれない。
Wさん「だから私も含め、田舎で暮らす人たちが個性豊かになりがちなのは、仕方ないことなのかもしれません(笑)」
Wさん「とはいえ田舎は子供が少ないので、そのなかで子育てをするデメリットももちろんあると思います。一学年10人前後で、中学卒業までメンバーが固定となると、コミュニティが広がりませんよね」
Wさんがちきゅうのがっこうを始めたのは、娘さんをはじめとした村の子供たちがコミュニティを広げる機会を提供できれば、という思いもあったという。月に一度、別の地域の子供たち十数名と関わる機会があれば、視野も広がるし、狭いコミュニティのしがらみにとらわれる必要もなくなるからだ。
Wさん「先日は、娘を連れて屋久島にワーケーションに行ってきました。これからも色々な場所に連れていき、友達はいろんな場所に作れるんだと知ってもらいたいですね。
とはいえ生徒数が少ない分、先生たちも精神的に余裕を持ちやすいでしょうし、田舎ならではの良さももちろんあると思っています」
持続可能な社会づくりの実践を、都会の人と村民と共同で
最後にWさんに今後の展望を伺うと、また新たな事業の種が生まれていた。
Wさん「持続可能な社会づくりの実践を、都会で暮らす人たちと村の人たちで一緒に行えるようなプログラムづくりができたらいいなと思っています。
実はすでに計画も進行中で、今年の4~5月頃から、MOKKI NO MORIの敷地内にある耕作放棄地をフードフォレスト(食べられる森)に再生するプログラムを新たに開講しようと考えています。プロの講師の方に習いながら、耕作放棄地の開拓や植栽、作物の収穫、料理など、森づくりから森の恵みをいただくまでの一連の流れを実践するプログラムにしたいと計画中です」
檜原村ならではの環境を活かし、事業づくりも子育ても自分らしく楽しんでいるWさん。そんなWさんと話していて勉強になったのは、「ほしい環境は自分でつくりだす」という姿勢だ。
都会にも田舎にも、それぞれ長所と短所があり、完璧な環境なんてない。Wさんも、田舎での暮らしを気に入っている一方で、子育ての面では「子供のコミュニティが狭くなりやすい」というデメリットも挙げていた。しかしそうしたデメリットに対し、Wさんは、村外の子供たちともつながりを作る機会を事業やプライベートで自ら作り出している。
移住先を探す際の心構えとして大切なのは、完璧な環境を探そうとするよりも、ご縁ができた地域がもっと暮らしやすい場所になるよう、自ら主体的にアプローチする意識を持つことなのかもしれない。
また、Wさんの場合は、既に村内に基盤のある事業者とコラボレーションしたことで、スムーズに事業を立ち上げていたのも印象的だった。地方で移住や起業をする場合は、家や土地を借りることが最初のハードルになりがちだ。だからこそ、既存の事業者にもメリットがある形で、場所を借りて事業をスタートするのは、とても参考になる事例だと思う。
実は筆者も、Wさんと一緒に、これから始まるフードフォレストのプログラムに関わらせてもらう予定だ。大先輩の背中を見て学ばせていただきながら、私もいつか村内で自分の仕事が作れるように、引き続き取り組んでいきたい。