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【写真あり】インドネシア×オランダのコロニアル様式が美しい「ザ フェニックス ホテル ジョグジャカルタ」の歴史を紹介

今年の2月、インドネシアのジョグジャカルタに行ってきました。

ジョグジャカルタは「インドネシアの京都」なんて表現をされることもある、歴史的遺産が多く残る古都です。

ジョグジャカルタ国際空港

そのジョグジャカルタで泊まった「ザ フェニックスホテル」があまりにも素敵だったので、本記事でご紹介したいと思います。

1918年に建てられ、長い間国内外の人々に愛され続けてきたフェニックスホテル。

今回はその歴史を中心にお話ししますので、興味のある方はぜひご一読ください。


ジャワ建築とアールデコの融合

フェニックスホテルは、香辛料貿易での成功を追い求めジョグジャカルタに移住した中国の実業家、Kwik Djoen Eng によって建てられました。

Kwik Djoen Eng はたった数十年で見事に事業に成功し、オランダ東インド諸島に数多くの豪邸を建設しました。そのひとつが1918年に建てられたフェニックスホテルです。

ホテルのロビー

フェニックスホテルは当時欧米諸国で流行していたアールデコ様式に、ジャワの建築美学を組み合わせたコロニアル様式の建物で、「Indische(インディッシュ)」と呼ばれるインドネシア・オランダ建築の最高傑作とされていました。

宿泊した部屋からの眺め

その後、世界恐慌で大打撃を受けたKwik Djoen Engは惜しくもこの邸宅を手放すこととなり、1930年代半ばにこの建物を購入した別の実業家が「ホテル スプレンディッド」として豪華なホテルに改装しました。

これがホテルとしてのはじまりです。

エントランスから客室に向かう途中の廊下

日本軍が使用していた歴史も

そしてこのホテル、なんと日本とも深い関係があるのです。

日本語でフェニックスホテルについて調べてもほとんどそのような情報は出てこないのですが、アメリカの Historic Hotel Worldwide というサイトに以下のような一文がありました。

第二次世界大戦中、日本軍がジャワを占領していた時期には「ホテル ヤマト」と呼ばれ、日本軍の司令部として使用されていました

ジョグジャカルタに行くことが決まり、「ホテルのインテリアがタイプ」という理由でフェニックスホテルを予約した時点では、日本との繋がりがあることなどまったく知らなかったので驚きました。

タイルが印象的な廊下

第二次世界大戦で日本軍が敗北したあとは再び実業家の所有物となり、1951年に「ホテル ムルデカ」として再オープン。

客室のインテリア

たいへんな人気を博し、多くの政治家や有名人が訪れた「ホテル ムルデカ」はその歴史的価値が認められ、 1996年に国の歴史的建造物に指定されました。

日本でいうところの国指定重要文化財といったところでしょうか。

文化財であることを証明するやつ

そして、2009年からは「ザ フェニックス ホテル」 として、現在も営業し続けています。

近代建築好きにはきっと刺さる

海外なので気軽に「ぜひ行ってみてくださいね!」とは言えませんが、この記事では魅力の10分の1も伝えられていないくらい、どこを切り取っても本当に素敵なホテルでした。

日本においてクラシックホテルや洋館などが好きな方にとっては、特に心ときめく景色が広がっていると思います。

インドネシアの有名観光地、ボロブドゥール寺院やプランバナン寺院へのアクセスも良く、ホテル周辺のジョグジャカルタの街並み自体もとても魅力的なので、ぜひ次の旅行先の選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。

ジョグジャカルタの街並み

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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