見出し画像

場末の筆者の独り言

今日も今日とて酒を飲み、PCの前に座っている。最近休肝日を作っていたがなし崩し的になくなってしまった。

いかんいかんと思いつつ「適量ならいいよね!」と自分の都合の良い解釈で開き直っている筆者である。

さて、エッセイ。面白い話を書こうと今日気づいたことなど書こうとしたが、書いてみるとまぁ面白くない。

真面目で学びのあった話ではあるのだが、書いてみるとほんの数行で終わってしまう。これならTwitterで呟けばいいか、となってしまったのである。


エッセイの書き方など人それぞれ、千差万別だろうが、私の場合面白い話を書こうとするよりも書きたいことを書く方が筆が乗るのだ。

面白い話をしろ!と言われて面白い話をするのが難しいように、面白い話を書け!と言われて面白い話を書くのは非常に難しい。

プロの作家さんなどはその無茶ぶりを返すことが出来るのだから、心の底から凄いと思う。

そんな人達を遠巻きから酒を飲みながら羨ましそうに見ているのが筆者である。私も勿論文章で生きていければいいなぁと考えてはいるが、まだまだそこに至る道は長い。

ただ最近気づいたのは、がむしゃらに書いていても頭打ち、限界だなという点だ。

私が書く時は基本的に短編だからということもあるが、プロットなど立てずに思い付きでほぼ書いている。今まで書いてきたものはそれにあたる。

一応ある程度納得したものを投稿してはいるが、どうにもこうにも頭一つ抜けているものはないように感じてしまう。

そんなこんなで行き詰まりを感じているのだ。

一方、プロの方の小説を見てみると作りこまれた展開、練り上げられたストーリー、緻密な描写。

月とすっぽんどころか月とありんこである。

そもそも比べるのもおこがましいが、上を見上げるのも悪いことではなかろうて。そんな精神でついつい見てしまうのである。

そんなありんこががむしゃらに書いてもたかが知れるというもの。これはありんこも努力せねば、ということで次回書く話は長編を予定しております(宣伝か)。

ただ私はそこまで作りこまれた話ではなくても、日常を描いたエッセイを読むのは好きだ。

人の感じたことや日常はそれこそ千差万別で、自分では体験できない、あるいは感じられないものがある。

それを文章を通して知ることが出来るのだから、これほど面白いことはない。

だから私もエッセイは書き続けようと思う。

私が人のエッセイを読んで面白いと感じるように、自分のエッセイを読んでくれた誰かが面白いと思ってくれれば幸甚である。

さて、そろそろ酒もなくなってきたのでこの辺にしておくことにしよう。

あとはスマホで誰かのエッセイを読もうと思う。

非常に楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?