繋がりの形
今日は即興で布団に寝転がりながら書いています。
悲しいときというのは誰にでもあるだろう。
それは老若男女、人種を問わずどんな人のところにも訪れる。
そういう時に慰めてくれるのは、昔だったら身近な人間であっただろうが、今ではその限りではない。
やはり直接会って話を聞いて貰ったり、励ましの言葉をかけて貰ったりするのはとてもありがたいことだが、SNS上で救われるような言葉をかけてくれることもある。
人との繋がり方が変わった昨今、そういったことは至るところで多々あるように思われる。
そこでその在り方の是非は問う必要はないように私は思う。
人間関係にはいろんな形があり、その形にSNS等によって新たな形が出来たという話であって、それの良い悪いではないんじゃなかろうか。
ただ強いてその良い悪いを問うのであれば、それは形ではなく真心があるか否かだろう。
人に優しくされるときに、その相手がどう思っているのかは、それとなく相手に伝わる。
もし本心で優しくされれば、それもまた伝わるものなのではないか。
どのような形であれそういった人との繋がりが持てているならそれは素晴らしいことだと思う。
昔読んだ本で遠くはなれた書店とそのお客さんとが手紙でやりとりするのを書いていた本があったが、その手紙には確かに真心があったように思えた。
直接会わずとも繋がる現代の人との繋がりは、荒涼としたものだけではなく、確かに暖かく豊かなものもあるのだと、そう信じたい。
そう思った夜なのでした。
それでは皆様良い夢を!
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