創作大賞応募と「伝える」ことの大切さ
7月17日に応募締切となった創作大賞2023。
私は今回エッセイ部門とお仕事小説部門の2つに応募をしました。
エッセイ部門は、祖父との思い出の話。
祖父からもらった言葉と、祖父と私たち家族とのこれまでや、祖父と祖母の最後の時について書きました。
しろさんともつにこみさんに感想文も書いていただけて、お二人の家族との思い出に感動したり、感じてくださったことを読んで「なるほどなぁ。確かに、親よりも遠いけどすごく近い存在の"祖父と孫"の関係だからこそ私はこんな風に綴ったのかもしれないな」なんて改めて自分の文章を見つめ直すような機会をいただけました。
そしてお仕事小説部門には、ぽつぽつと書き続けているマガジン「ギルティ女史はプラダを着ない」というシリーズから、いくつかの話を抜粋して短編集として応募しました。
これは昨年の創作大賞にも応募したのですが、新たにその後増えた記事も追加したものになります。
祖父の話は固定記事としてトップページに表示しているものの、ギルティシリーズに関しては昨年の応募記事を今年の仕様にあわせて再編集したため、かなり前の記事になるので改めて読んでもらえたらなと思い、先日Twitterとnoteのつぶやきで、応募した旨を投稿しました。
それにより新たに読んでいただけたり、頂いたスキの通知から「最初から順番に読んでくれたんだなぁ」なんてわかったりもして、とてもありがたいなと思いました。
それと共に、自分から伝える、アピールするというのはやっぱり大事なんだなと実感したり。
毎日投稿をしていると、日々投稿は増えていって、古い記事はどんどん埋もれてしまいます。
どれだけたくさん記事を書いても、どれだけ渾身のものができたとしても読んでもらわなければ意味がない。意味がないは言い過ぎかもしれないけれど、読んでもらってこそ、きっとここに投稿する意味がある。
私は今までどこかで、自分からたくさんアピールしたりPRするというのが何か違うというか、よくないことではないけれど、あまりやるべきではないというような感覚を持っていました。
なぜかはわからないけれど、謙遜ともまた違う「自分からぐいぐい言うなんてそんな...」というような気持ちがあった気がします。
でも、見てもらいたい!読んでもらいたい!の熱意は、ただただ無言で記事を並べていてもきっと伝わらない。
伝えたいのならばきちんと言葉にしたり、伝える手段を考えなければいけない。
しつこく何度も訴えたり、宣伝ばっかりだなぁと感じるようなやり過ぎはよくないけれど、しれっとかっこつけたように黙っていても意味がないし、もじもじと引っ込みすぎててももったいない。
今回「これも応募したんだよ〜よかったら読んでみてね」と投げかけてみた結果、そのアクションによって読んでくれた人やスキを押してくださった人がいたことにすごく嬉しく感じたと同時に、自分からこんな風に打ち出していくことも大切なのかなと改めて思いました。
今回応募した2つの作品は一度定期購読マガジンから外しているので、期間中どなたでもコメントを書いていただけるようになっています。
読んでもらえることももちろん嬉しいですし、記事を読んで「そういえばうちのおじいちゃんもこうだったなぁ」と懐かしい気持ちになったり「これ、私の職場で使えそうな技かも…」なんてことがあったりしたらコメントを寄せていただけるともっともっと嬉しいです。
私も引き続き色々なジャンルの応募作品をどんどん読んで、コメントもしていこうと思います。
創作大賞に向けて一緒に駆け抜けたみなさん、ひとまずおつかれさまでした!
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