心震えるラグビータウン釜石での終戦
釜石にはラグビーと夢がある。かつて新日鉄釜石(釜石シーウェイブスの前身 以下釜石SW)が日本選手権7連覇し、街の人々は東日本大震災の被災地として復興の夢を紡ぐ。街はどこか、ラグビー愛に満ちている。
その地で、日野レッドドルフィンズ(RD)は新リーグの最終戦を戦った。3点差で敗れた。地元初勝利を渇望する釜石SWのパッションにやられた。
釜石鵜住居復興スタジアムのスタンドには868人(公式記録)が駆け付けた。少し寂しい数字だけれど、青空の下、たくさんのカラフルな大漁旗が何度も揺れた。
試合後のオンライン会見。地元記者から釜石の魅力を聞かれ、日野RDの箕内拓郎ヘッドコーチはしみじみと漏らした。
「やはりラグビーの街だという空気があります。僕自身、小さい頃からラグビーをしていたので、新日鉄釜石がどういうチームなのかというのを知っていますし、ワールドカップの試合もありましたし、もちろん震災から立ち上がった街でもあります。ラグビーに対してあたたかい街だなって」
このスタジアムは、震災の津波で流された小学校、中学校の跡地に建設された。日野RDは今季、2度目の試合使用となった。箕内HCは黒いマスク下の顔を少し崩した。
「大きなスタジアムではないですけれど、(試合を)やっている選手たちがうらやましくなります。こんな観客がいていいなと思います。また、このスタジアムで試合ができるのを楽しみにしています」
箕内HCのハートフルな言葉を聞いた地元記者がつい、声を発した。「ありがたい言葉。ありがとうございます」と。
試合前後にはいくつものイベントが準備されていた。レトロなボンネットバスに乗ってスタジアムの周りをゆっくり走る「スタジアムツアー」もあった。語り部のガイド役が地元の好漢、浜登俊雄さんだった。
震災ではご両親と妻、三女を亡くした。でもラグビーのお陰で元気に生きている。ボランティアで釜石SWを応援する。
映画『三丁目の夕日』に出てきそうなボンネットバス、いつ製造のバスかと聞けば、浜登さんは「私と同じ年です」と笑った。1968(昭和43)年型だった。53年前である。
バスのスタジアムツアーは10分余り。チケット代は100円だった。
「このスタジアムは2019年8月19日に完成しました」
浜登さんは、街とスタジアムの歴史を軽やかに語る。2019年ラグビーワールドカップでのフィジー×ウルグアイの試合があったこと。またハイブリッド芝のことも。
「来年のフランスワールドカップでは9会場のうち、6会場で釜石と同じハイブリッドの芝が使われます」
バスは上り坂になると、ブルブルブルとしんどそうに走る。「進行左手にはラグビー神社が見えてきました」。
この赤い鳥居は、ワールドカップ期間中、東京・丸の内にあったものを釜石に移設したものである。おみくじもある。
なかなか、勉強になるバスツアーだった。スタジアム周りでは、いろんな出店が並び、また釜石高校の生徒による震災の伝承活動もなされていた。聞いていて涙が出そうになる。
試合が終わる。釜石ファンは勝利に泣きながら喜んだ。ディビジョン2残留決定だ。夜、浜登さんに電話をかけたら、こんなノーサイドのエピソードを教えてくれた。
スタジアム出口そばの机に座っていたら、日野RDのジャージを着た集団が寄ってきたそうだ。悔しそうな顔をしていたけれど、「釜石のみなさん、ありがとう」と言ってくれた。 「残留、おめでとうございます」とも。
「でも、次は私らが勝たせてもらいますよ」
試合が終われば、選手もファンも敵味方なしなのだった。これもまた、ラグビーの魅力なのである。ああ来シーズンが待ち遠しい。