西アフリカ「セネガル共和国」の子供達とラグビーの繋がり
この記事は「笠原雄太 選手」のレポートです。
笠原選手がセネガルにいる奥様に会いに行き、現地での体験やラグビーに触れた感想を綴っていただきました。ぜひご覧ください。
※笠原選手の奥様は、JICA(独立行政法人 国際協力機構)の職員としてセネガルで活躍されています。
2022年7月1日〜10日、私の妻が働いている西アフリカのセネガルに行き、ストリートチルドレン保護施設にあるラグビーチームの子供達とラグビーをしてきました。セネガルの歴史や文化、日常風景なども紹介します。
日本から14,000km(時差-9時間)
片道48時間(トルコ、モーリタニア経由)
【セネガル共和国】
・首都:ダカール
・面積:196,722 km²(日本の約半分)
・人口:1,674万人
・言語:フランス語、ウォロフ語など
・宗教:イスラム教95%、キリスト教5%
【主な歴史】
1444年頃〜1848年 奴隷貿易の拠点(約400年間)
1815年頃〜1960年 フランスの植民地(約150年間)
1960年4月4日 セネガル共和国に独立
※一夫多妻制が認められているので最高4人の妻を持つことができます。私の妻は3年間もセネガルにいるので少し不安、、、
日本(羽田空港)を出発、トルコで乗換えモーリタニアを経由し、セネガルの首都ダカールに到着しました。
ダカール空港の荷物受取り場はカオスな光景でした。荷物がバンバン投げられ、荷物を運ぶベルトコンベアの上に乗客が乗りアフリカに着いた実感が湧きました。
空港に妻が迎えきてくれて、半年ぶりの再会でした。久しぶりに会うことが出来たので嬉しかったです。
■首都ダカールの街並み
露天販売の多さ、整備されていない道路、イスラム教の聖書コーランの朗読が街中で聞こえてくる、日本とはあまりにも違いすぎる光景にカルチャーショックを受けました。
しかし、セネガルにも日本と同じく「おもてなしの文化」があります。道を歩いているだけで、めちゃくちゃ話しかけられます。初めは少し怖かったですが、徐々に人の暖かさを感じてきました。映画でみる、古き良き「昭和の日本」の感じがしました。
■奴隷貿易の拠点だった「ゴレ島」
ゴレ島は1444年頃〜1848年まで(約400年間)ヨーロッパの国々が奴隷貿易の拠点にしていた場所です。とても悲しい歴史がありますが、現在はアートの島となり観光地になっています。
ゴレ島の少年から、セネガルのおもてなしのお茶「アタヤ」をもらいました。ミントの緑茶って感じですが、尋常じゃないぐらいの砂糖をいれます。めちゃくちゃ甘いですがミントが効いていて美味しいです。
■西アフリカの遊牧民プラール族との出会い
首都ダカールを離れ、大西洋の夕日を見ていたらプラール族の子供達が集まってきました。
プラール族は西アフリカに多く、元々は遊牧民です。砂漠付近に住んでいるプラール族は家畜を飼育し農業を営んでいます。電気、ガス、水道はありません。またアフリカでは珍しくかなりシャイな民族です。
彼らはプラール語しか話せないので、言葉は通じませんが、こんなに純粋な気持ちになれたのは初めてでした。
■港町とタバスキ(犠牲祭)
モーリタニアとの国境近くサン・ルイという港町に来ました。
サン・ルイにはレブ族という漁業を営む民族が住んでいるローカルな地域がありますが、想像をはるかに超えるディープな場所でした。
街にはたくさんの羊がいました。
これはイスラム教、最大のお祭り「タバスキ(犠牲祭)」で食される羊です。タバスキの日は家族みんなで羊を食べてイスラムの神にお祈りをします。タバスキが行われる日にちは、月の満ち欠けで決まります。今年は7月10日前後の予定です。
密集している住宅街、走り回る多くの子供達、街中に広がる羊と魚の匂いに圧倒されました。「世界はひろい」と感じました。
■セネガルの国民食
「チェブジェン」と「ヤッサプレ」を紹介します。セネガルは食文化が進んでいて食べ物が美味しいです。
■セネガルの日常(田舎の風景)
セネガルを旅していると、のどかな風景が広がっています。砂漠が多いので舗装されているのは主に幹線道路だけです。
■セネガル相撲
セネガル相撲の練習に参加しました。
セネガル相撲(Lutte)はセネガルの国技です。
サッカーと並んで人気があります。
セネガル相撲には「殴りあり/なし」の2種類があります。
殴りあり:殴りによるKO勝利がある
殴りなし:殴った時点で反則負け
また両手、両肘、両膝の6点中4点が地面につく、又は頭、肩、背中、尻の1点が地面についたら負けです。
セネガル相撲は各選手に魔術師がついています。取組み前に魔術師がつくったお水をかぶり、魔術が掛かったグリグリといわれる装飾品を身に付けることで力がつくと言われています。逆に相手の力を奪う魔術もあるみたいです。日本の相撲でも取組み前に力水や塩撒きをするので共通点を感じました。
セネガル相撲は相撲というより柔道、レスリングの要素が強いです。現役バリバリの選手と試合をしましたが、パワーもありますが、テクニックで圧倒され、なにも出来ませんでした。
次回はラマダン最終日を狙って挑戦します。
※ラマダン:イスラム教の断食月(約1ヶ月間)
コーチも選手も大会での勝利を目指して真剣に相撲に向き合っており、なにより本当に優しかったです。コーチからの指導はフランス語で始まり、妻が日本語に訳してくれていましたが、指導が熱くなってきてからは、ほぼウォロフ語だったので、なにも分かりませんでした。
今回、練習に参加させていただいたのは、共通の知人を通して紹介いただいた魚住さんのおかげです。ありがとうございました。
[魚住彰吾さん]
専修大学レスリング部出身、卒業後は青年海外協力隊でセネガル赴任。セネガル相撲に魅了され、セネガル相撲唯一の日本人選手として活躍中
※セネガル相撲やセネガルの文化をSNSで発信されています。@lutteolympique
■セネガルラグビー
セネガルのストリートチルドレン保護施設にはラグビーチームがあります。そこにいる子供達とラグビーをしてきました。
※ダカールから車で1時間(Village PiloteというフランスのNGOが運営)
2020年(2年前)コロナの影響でフランスからの支援が滞り、施設に必要な物資が届かずラグビーの物資も不足していました。
当時そこで、日野レッドドルフィンズをはじめスポーツウェアを手掛けているBLK JAPANさん、マウスガードを手掛けているMDRさん、私の地元にある函館ラグビースクールさんからご協力をいただき、2020年11月に多くの支援物資を届けることができました。(この時の供与は妻が対応)
それから2年の月日が流れ、遂にセネガルを訪れることが出来、子供達と実際にラグビーをしてきました。気温40度を超える砂漠のなかでもアフリカの子供達は元気いっぱい、なにより身体能力が半端じゃなかったです。一緒にラグビー出来て嬉しかったです。
[施設の子供達について]
この施設の子供達は、もともと「タリベ」と呼ばれ、イスラム教のコーラン学校に所属し、その学校で寝泊りをしていました。
タリベになる理由は様々で、親が子供にコーランを学ばせるために学校に預けたり、貧困や親との死別などがあります。西アフリカのなかでセネガルは比較的経済が発展しているので近隣国(ガンビア、マリ、ギニアなど)からも貧しい子供達が集まってきます。
タリベの生活は非常に過酷で一日約250~500CFA(日本円:50〜100円)を物乞いなどで稼ぎ、マラブと言われる宗教指導者に渡さなければなりません。悪いマラブにあたってしまうとノルマを達成できない場合、体罰(鞭打ち等)を受けることがあります。
体罰を恐れて学校にもどれず路上生活を送っている子供達を保護しているのが、このVillage Pilote という施設です。
保護した子供達に対し、識字教育、算数学習などを行い、最終的には親元や普通教育に戻すこと、15歳以上には就労訓練を行い自立支援することを目的としています。
またこの施設を運営しているのは元ラグビーセネガル代表で10年間活躍しフランスでもプレーした経験があるシェフさんです。(ポジションLO、FL)
このシェフさんが教育の一環としてラグビーを取り入れました。この施設のラグビーチームからセネガル代表、フランスでプレーする選手も既に輩出されています。
いつか日本のLEAGUE ONEで活躍するセネガル人選手が輩出されることを夢見ています。今回の活動を通じて日本ラグビーとセネガルラグビーとの架け橋になれたら嬉しく思います。
※私のInstagramでも配信しています。@kasaken1984
日野レッドドルフィンズ 笠原 雄太