住居について思いをめぐらす
だいぶ涼しくなってきた。朝晩の虫の音もよく聞こえる。草取りをしても、草の勢いも少し衰えてきたような感じがする。
朝の掃除を終えて、一息つく。
掃除が嫌にならないくらいの大きさの家で良かった。広い家に住んでいないことがありがたい。
あんまりたくさんの物の管理ができるタイプではないので物もほどほどでいい。
ミニマリストほど、潔く断捨離ができないので、小さな心をくすぐるもの達を手放すことはできないし、まだ好きなものに囲まれていたい。
賃貸暮らしなので、時々、不動産情報を見たりする。けれども、ここを引っ越して、そこへ行こうと思うほどの物件に出会えていない。
ふと、これからどんなところで暮らすのだろうと思う。今住んでいるところは気に入っているし、まだまだ住んでいたいとは思うのだけれど。
こないだ函館に行った時に、歩いて回れる小さな町の規模の町もいいなと思った。今まで住んだことのある町を思い出してみた。
東京では谷中。商店街のすぐ裏で、近くに銭湯があって、寺町を散歩するのも楽しかった。その頃働いていた仕事はキツくて大変だったけれど谷中はほっとできる場所だった。春の桜は見事だったし。
鎌倉は20代後半から30代前半に住んでいたところ。両親とぶつかったり、協力隊から帰ってきて次の道がなかなか決まらなかった頃。ゲストハウスの立ち上げのお手伝いをさせてもらったり、ルームシェアをしたり。面白い人たちに出会ったな。
軽井沢は就職して初めて住んだ町。はじめの1年間は車なし生活だった。会社の寮で、歩いて5分ほどのところ。会社の温泉に入れたので、お仕事の後、歩いて温泉に毎日入りに行っていた。おかげでお肌はつるつる。1年後に車を買って、隣の御代田町に引っ越した。浅間山が見えるのが本当に良くて、山の見える暮らしってこんなにいいものかと思った。
海外はボリビアとインド。協力隊で行ったボリビアはホームステイだったけれどのどかな田舎でのんびりしていた。水シャワーしか出なかったけれど、小さな家で週末は手で洗濯の日々。2年間は終わってみればあっという間。
インドは結婚してオットの駐在で暮らしていたから、協力隊時代とはビックリのお湯も出るし、広いマンションだった。インドなので、水道管が壊れたり、色々住居の問題はあったけれど、ヨガに毎日通えるのが何よりだった。
思い返すと、どこに住んでも住めば都でいい所もあるし、イマイチな所もあった。これから、まだどんな所に住むのだろう。引っ越しは面倒だけれど、新しい町に住むのもワクワクする。
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