サイゼリヤの次に行くべきイタリアン
この店については、前にも書いた。
しかし、まだ言いたいことがある。
「サイゼリヤを"ちゃんとしたレストラン"として評価しているならば、このレストランにも感動するはずだ」という確信がある。
順を追って述べるには、何年か遡らなくてはならない。
今でこそ、インターネット上では「俺たちのサイゼ」のようにもてはやされている趣があるサイゼリヤだが、かつてはそうではなかった。
いきなりインターネット老害みたいなことを言うようで恐縮だが、かつてはそうではなかったのだ。
「デートで連れて行かれた先が安いチェーン店だった」「何が悪い、安くて美味いだろうが」「そういう問題ではない」「そこに連れて行かれるということはデートの相手として安く見積もられているんだろう」というような不毛な論争が、何周目だ?と数える気もなくなるほど、飽くことなく繰り返されていた。
よく引き合いに出されていたのがサイゼリヤだ。
「チェーン店の代名詞」として、ほとんど記号として扱われていた。
からくも「経営者が理系で徹底した効率化によって安さを実現している素晴らしさがある」という反論はあったが、それは「チェーン店は意識して食事を楽しむつもりで訪れるには、おざなりな選択肢である」という見えない前提として横たわる価値観を覆すには至らなかった。
あくまで「チェーン店の中での優位性」を説明するものに過ぎなかったからだ。
流れを完全に変えたのが、稲田俊輔さんの「サイゼリヤ100%活用術」だった。
稲田さんは、サイゼリヤを「確固たるポリシーがある素晴らしいレストラン」だとして線を引き直し、高らかに称えることで、先の不毛な論争を無効化した。
前提となる価値観から書き換えてみせる手つきの鮮やかさ。
この記事以降、食べることが好きなひとたちが楽しみながらサイゼリヤに向かうことが確実に増えた。ビフォーアフターで空気が変わったのだ。
一方、好きで通っていたレストランが、サイゼリヤを称える文脈での共通項を持っていることには、何となく気づいていた。
・「イタリアの家庭料理」という特色を大事にしている
・食べ疲れしない。あともう少し味が欲しい時は、自分でカスタマイズできる余地がある(ピッツァは全然油っぽくなく、自分で後から油を足せる)
・一人でアラカルトでも、一人でコースでも、皆でアラカルトでも、皆でコースで使っても良い。思い思いに使って良い自由がある
ある日、メニューにあった単品の「ミネストラ」を頼んだら「青菜と豆をくたくたになるまで煮たスープ」が出てきた。
確か単品400円だったと思う。(2017年2月)
「イタリアンで出てくる野菜のスープ」は、トマトを使って赤く染め上げられたものを連想する方が容易い。
「イタリア人は青菜をクタクタになるまでオイルと炒め煮にする等してたくさん食べる。日本人のように"色みよくシャキッとした歯ごたえ"は考えない」らしいというのは、イタリアの料理本で見て、知識だけでは知っていた、けれど。
これを、単品でメニューに載せる。すごい。
ここで、稲田さんが著書で書かれていた「レンズ豆とスペルト小麦のミネストローネ」についての記述を参照してみよう。
個人的にサイゼリヤ史上最高傑作の一つとも言える一品。どういうスープかを言葉で説明するのは、ほかに似たような料理がないのでちょっと難しいのですが、とりあえず中世ヨーロッパを舞台にした映画やアニメで夜明けに嵐の中をほうほうの体で宿にたどり着いたシーンを思い浮かべてみてください。そこで「スープくらいしかないけどいいかい?」と言われて出てきそうなやつ、言えば伝わりますでしょうか。伝わりませんかね。
ミネストローネといえば普通は何の疑いもなくトマト味を想像する日本人に対して、そうじゃないものを当たり前のような顔でしれっと提供する、というサイゼリヤのカッコよさが楽しめる料理でもあります。
(稲田俊輔「人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本」p.78)
「しれっと提供する」精神が、まるで一緒ではないか!?!
のちに、コロナ禍により、当該レストランは一時休業を決めた。
休業前に一度は行きたいと思い、駆けつけた時のメニューには羊串があった。
調味アプローチとサイズこそ異なるものの、折しも、サイゼリヤで羊串(アロスティチーニ)がメニューに載せられ、人気で品切れまで出たタイミングである。
思わず「いまサイゼリヤでも羊串を出しているの、知ってます?」と尋いてしまった。
結果、シェフは全くそんなことは知らず、淡々と自らがたのむところに従い、美味しいと思うものを提供しているだけだった。
つまり、サイゼリヤが羊串を出したのも、コルマータが羊串を出したのも「思想が同じ店が、偶然同じタイミングで出した」という一致に過ぎない。
こんなことがあるか。
当該レストランは四人以上の予約で宴会コース(前菜、パスタ、ピッツァ、メイン、ドルチェ、コーヒー)+飲み放題付きで5,000円の提供をしている。
ビールは瓶のハートランドで「パスタorピッツァ」ではなく「パスタ&ピッツァ」なことも含めて、どう考えても破格だ。もう入らない、というところまで飲み食いすることを考えると実質食べ飲み放題に近い。
先日「サイゼリヤで豪遊しよう」と大勢で集まって、ワインをボトルで何本も開けたり料理を好きなだけ頼んで気の済むまで食べた。
その結果が、一人あたり約5,000円だった。
そんなことがあるか!?
稲田さんがサイゼリヤの本質を掴んで提示したことは、思った以上に普遍性と強度を持ち得ていた。
この点、稲田さんがエリックサウスマサラダイナーで「サイゼリヤをリスペクトして」硬いプリンをコースのデザートにしていたのとは意味が異なる。
当該イタリアンはサイゼリヤを意識していない。にもかかわらず、思想が近いと要所で重なってくるのだ。
その後、ランチで提供されていたプリンは、食べる前から知ってた。硬めだ。
更に、現在サイゼリヤのメニューから消えてしまったことを惜しまれているサルシッチャが、レギュラーメニューにある。
サイゼリヤを愛するひとは、行くしかないんじゃないだろうか。
※サルシッチャ以外はレギュラーメニューではないため、食べたいひとは予約時にリクエストしてください。
「COLMATA」
〒541-0045 大阪府大阪市中央区道修町4丁目4−7−12(Google Maps)
※現在はランチ&バールもやっている。
メニュー情報などはInstagramで