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活動の終わりを決めるのは誰か

「子どもを『人間としてみる』ということ」を読み終えた。非常に面白かったので、ここから考えたことを忘れないように記しておく。

If it is okey, it is end.(もしも、それがオーケーなら、そこで終わり。)
If it is not okey, it is not the end.(もしもオーケーでなければ、終わりじゃやない)

佐伯胖(2013),子どもを「人間としてみる」ということ

これは、イタリアのレッジョ・エミリアという町の幼稚園のスローガンらしい。

そういえば…息子の通っている幼稚園に参観に行って驚いたのが、活動の終わり方。先生が「終わりでーす」と大きい声を出して、終わりを告げるのではなく、自然と子どもたちが片付けを始め、いつのまにかお昼ご飯の用意が出来上がっていってる。あまりにも自然すぎて、最初は気づかなかったんだけど、よく考えたらすごいなと。

時間でぶつ切りにするわけでもなく、大人が急かすわけでもなく、なんとなく片付けが始まって、次の活動に動いている。年少なので、時計をよんでいるわけでもない。不思議。子どもたちが自分たちで活動を終わりにしているように見えた。(先生たちの仕掛けや働きかけがあるのかもしれないけれど、僕には分からなかった。)

小学校は、時間になったら活動が終わる。子どもが「終わりたい」と言っても、まだ授業の時間だからと言って、活動が終わらない。だって社会がそうだから…という理由で、子どもの都合などお構いなしに。それが当たり前になっていて、今まであまり考えてこなかったのだけれど。どうしたら良いのかの答えは出てないけれど、少なくとも「子どもの活動の終わり方」には目を向けたいな、と思った。

あ、そういえば、授業が終わっても活動し続ける姿もある。黒板の前に来て、考えていたり、友達と授業の話をし続けていたり、家庭学習で発展させてきたり。そういう姿を見るたびに、嬉しくなっていたな、と。あれは、「まだオーケイじゃない」という心の叫びかもしれない。

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