自分探しをし続けて見えた一つの結論
その取り組みに対しての姿勢は、その時々によって変化があったにせよ、ベースにずっとあった「自分探し」
これかも!
と、一瞬、光が見えることも何度かあったのだけど、何か違う・・・とまた過ぎ去っていく。そしてまた、スッキリしない日々が続く。そんな繰り返しだったように思う。
いつからかそんな風に思ってて、それはそれで良い一つの結論だなと思ってるのだが、もっとフィットする一つの結論に至った。それは、
ないものねだり
私は、
ただただ、「ないものをねだる」という特徴を持っている。
ただ、それだけなのかもしれない。
かねてより、理解はしてた。
という禅語がある。その重要性も、かねてから、頭の片隅にはあった。
だけど、肚落ちまでいかなかった。
それは、自分の身体の状態がどうであるかを知らずに、良いとされる健康法を取り入れてる感覚と似ている。
医師だって、まず、患者の状態を診る。診断して、対処する。
私は、診ているようで、自分を診ていなかった。
私は、ないものをねだっている。それも、ことあるごとに。もう、これは癖といっても過言ではない。
そりゃ、どんなに自分を探しても、ないものに執着していたら、そこにある自分に気づけやしない。
無いものは、無い!
ただそれだけのことだw
どうしても欲しいなら、あらゆる努力をして手に入れればいいし、そこまでの努力をするつもりがないなら、無いものは無い、しょうがないで終えればいいだけの話だ。
それを、とかく、羨ましがったり、過去の自分のせいにしたり、環境のせいにしたところで、その欲しいものが天から降ってくるわけでもなく、無いものは無い。
あるものに目を向けるのも大事だが、この「無いものは無い」と明らかに見ることもまた大事だ。
無いものにも執着をしながら、あるものに目を向けても十分ではない。
知足の意味に、やっと、肚からたどり着いた気分だ。
無いものへの執着を手放し、あるものに目を向ける。
やりたいことが何なのか
好きなことが何なのか
そんなことを探すよりも、無いものへの執着を手放す方が私にとっては先だ。
まぁ、肚落ちしたとはいえ、実践できるかって言われたらそれは別の話だろうw癖を直すには、地道な訓練が必要だ。
さて、今日、私は何が無いと思うのだろう?楽しみだw