卒論
卒業である。卒論を書いた話を今更。最初に言っておくが、これはほぼ言い訳であり愚痴である。
基本的には僕の力不足であっただけだし、ご協力いただいた先輩・先生への感謝の気持ちは確かに持っている、ということはあらかじめ断っておく。
結論から言うと、卒論は「合格」であった。まあさすがに不合格にはならないから、普通であったというだけだ。
そして個人的に言えば、「手も足も出なかった」という感じ、30点の出来だった。
僕がそう感じた原因は、「うまくテーマを設定できなかった」ことにある。
テーマ設定というのは、普通の勉強とは全く違う能力であるし、得意不得意が大きく分かれる部分であると思う。
もちろん、普通に経済学の勉強をちゃんとやっていなければ、良い論文は書けない。しかし「経済学の勉強」は必要条件でしかなく、やっていたってできない人にはできないのである。
前にもきっと書いているが、自分はアイデアを出すよりアレンジをする方が圧倒的に得意である。誰かが出したアイデアを組み合わせたり、ちょっと趣向を変えたりして、よりよいものを作る。そこに関しては大きく貢献できる自信がある。しかし、自分が最初からテーマを見つけ、そこから何かを生み出す、という工程についてはかなり弱い。これはジャグリングなどでも同じである。
そして、そうやって行き詰まったときの相談相手が不足していたことも厳しかった。
経済学部の卒論は基本的に個人戦である。そのうえ、相談する相手も機会もかなり少ない。教授には半年に1度の発表以外では自分からアポを取らなければいけないし、院生も個人的なツテをたどって雑談ついでに話を聞くしかない。
論文の書き方もろくに教わったことがなかった。構成は適当に調べたり、ゼミの先輩が残してくれた論文のフォーマットを参考にしたりして適当に書いただけである。添削さえもされなかったので、誤植や論理ミスがあったとしても、自分で気づかない分はそのまま提出するほかない。
おそらく自分にとっては、先輩や教授と定期的にコミュニケーションを取り、些細なことでも悩みを相談できるような、面倒見のよい組織の方が研究がうまくいったのではないかと思われる。
もちろん博士レベルの研究者がこんな調子ではダメなのだろうが、まだ学部生である。研究のけの字も知らないような学生に、ノーヒントで論文を書け、という方が無理なのである。
もちろん先輩や先生方には(卒論に直接かかわらなくても)とても多くのことを教わっているから、そこは感謝しかない。そしてこんな状態でもいい卒論を書く人はたくさんいるので、単に僕の能力が足りないだけかもしれない。
しかし、少なくとも僕にとって、この卒論の制度は一切合っていなかった、それは間違いない。
題材(扱うもの。結局ジャグリングのコンバットゲームにした。)の設定にも1年近く悩み、そこから必死にモデルを考えるも、なんべんやっても上手くいかず。相談しても「そこは上手くいくようなのを考えて」となってしまい(これは結構多くの人に言われた)、行き詰ってストレスをためる。ストレスがたまると余計に頭が回らない。そんな悪循環である。
結局最終的に使ったモデルを作ったのは締切前日。それも途中で綻びを見つけたが、そのまま突っ走るしかなく、「うまくいかなかった」という結論で結ぶ強引さである。
まあこの点に関しては、理論の論文は実証や実験と違い「…と考えてやってみたが、そういう結果は得られなかった」という結論が許されない、という点もかかっているのだが。
まあ要は、自分にとってこの制度で卒論を書くのは(自分のADHDの症状なども絡んでいるが)かなり厳しく、実力を出せないままストレスがたまるただの地獄と化していた、ということである。それも含めて実力なのかもしれないが、これを修士でもう一度やるのは無理だったので、そういう意味でも移籍は正しい選択だったかもしれない。
修士ではもっと早い段階でテーマを相談し、行き詰る前に何とかする術を見つけたいものである。