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THE Wに出た話 #6 トイレ

バラナシを後に、今回の旅行の最大の目的、コルカタにある「マザーハウス」へと向かった。

また電車に15時間缶詰めである。でも、まりなとの時間は楽しく自由人過ぎる互いを容認しあい(?)超マイぺースで楽しい旅行をしていた。2回目の寝台列車に関しては何も起こらなったので割愛する。

コルカタに着きマザーハウス近くのゲストハウスへと向かった。マザーハウスでボランティア登録を行い次の日から働けるように説明などを聞いた。世界各国から年齢性別問わず色んな人が30-40人はいた。日本人も何人かいて話を聞いてみると毎年休みを取って2週間来ている看護師さんがいたり、1年間ここでインターンとして働いていますというお兄さんがいたり、なんだか凄いところに来てしまったなと言う印象だった。 

翌朝、マザーハウスに向かい、朝食をもらいお祈りをし、いよいよボランティアに向かう。場所に関してはたしか当日決めることが出来た。私たちが向かったのは障害のある子供や大人たちが生活する施設だ。香港のインタナショナルスクールの高校生たちと一緒に子供と遊んだり洗濯(洗うのもすべて手洗い!)を干したり、おむつ替え(まさかの布おむつ!)をしたりなど。盛りだくさん。一日と言っても朝10時から夕方3時ころまでだが1日を終えるとへとへとだった。

コルカタに来てから4~5日目を過ぎたころの深夜3時、ヒナタは急な腹痛に襲われた。体は丈夫な方だし、今までどこに行っても何を食べても体を壊さなかったが、ここにきてインドの洗礼を受けた。3時から朝7時までの約4時間トイレとお友達になり10分に1回はご挨拶していた。さすがにトイレットペーパーも底をつきまりなにもらいに行ってもらった。その後、まりなが持参していたポカリスエットの粉末をペットボトルの水に溶かし、がぶ飲みしていたら11時ころにはトイレへ行く頻度が徐々に減り始めた。

5日目の最終前日「死を待つ人々の家」の見学をしようとしていたのだが、さすがにこの状態では無理なので断念した。私はゲストハウスで一人寝ていたが、まりな一人でそこへ行ったどうかの記憶は全くない。夜になるとすっかり元気になり食べ飽きつつあったカレーを”食べ納め”として意気揚々と食べていた。自分の体力とポカリスエットの力に感服である。

翌日、帰国日であるが、まりなが朝5時ころゲストハウスを出発し先に空港に向かい私はお昼過ぎに帰国予定だったので私はベットのなかからお見送りをした。

10時ころ起きるとテーブルに手紙が置いてあった。

続く。

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ヒナタのポテンシャル 兼業放送作家
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