山岸 ヒナタ
読み物としての、料理のお話を書いています。単純に料理するのが好きなので。
思いついた物語を、書きなぐっていこうと思います。
今回のイラスト制作過程とその振り返り。自分へのフィードバックと反芻を目的としているけれど、「こんな感じで進めたんだぁ」と何処かの誰かの参考にでもなってくれれば嬉しいな。なんて。 制作開始前の課題として ①イラスト全体の構図を整える ②塗りを淡くする。できればにじみ表現をする ③全体の完成度を高める 的な課題を持って取り組み開始。 ラフ案 キャラクタのポーズと全体に何を配置したいかをおおまかなアタリで描いてみた。 配置に関しては3分割法でキャラクタや小物の配置を決
もうイラスト描いてるのが楽しすぎて困る。 イラストは下書きが一番楽しい。そして私は色塗りが苦手だ。 いままで原理は知ってはいたけど逃げ続けていた『グリザイユ画法』 ためしに頑張ってみました。 まずは下書きというか、汚い線画。 一緒に書かれている汚い文字は、メモでして、消すのがめんどかっただけです。 以前、自力で『グリザイユ画法』に挑戦したら、もちろん失敗しましたよww 今回勉強させてもらったのは、最果ての地に住む魔王、ディープブリザード先生のYouTubeです。とても
ハロウィンに向けてのイラスト描いてたんですけどね。 アイデアから始まって、下書き、清書まで書き出して、やっとおかしな事に気づく。 なんか、違うんだなぁと。上半身と下半身がバラバラな感じがする。 人体のワイヤーフレームから書き直して、なんとなく納得できそうな構図に。 書き出し当初の視点の高さ設定というか、ホライゾンラインの高さを見失っていたような気がする。 これ下書きに何時間かけてるんだか。 はたしてこの絵が完成するのかも疑わしくなってきました。 あぁ、どうせいつも
ホームズにワトソン。助さんと格さん。フィクション、ノンフィクションの区別なく、古今東西世界は広しといえども、アナタと私、私とアナタで一心同体。相棒という概念が存在する。 辛いとき、苦しいとき、どんな境地であっても相棒は苦楽をともにする。時に憎まれ口をたたき合い、皮肉めいた言葉を交わしながらも、お互いの固い信頼を前にして、立ちはだかる敵は無し。 そんな相棒。私にもいますよ。 私はとっつきにくい性格ゆえか、友達の数は少ない。基本愛想は良い方だと思うけれど、関係性が深まりそう
何かに挑戦する。素敵なことだと思いませんか。 自分に目標を立てて、そのために日々を積み重ねる。 自己実現という最大の目標に向かって。 でも挑戦することには抵抗があると思うんです。だって単純に大変ですし、時間も使うし。 そもそも挑戦したからって 実になるとは言えないじゃん。 だったら使った時間分遊んでた方が楽しいし。 どうせできるわけない。 そんなふうに考えちゃいます。 「何かを始めるのに遅すぎることはない」 誰が言ったか知らないが。この名言を聞くと何でもできる気がして
欲望には限度がない。一つ満たされると新たな欲望が一つ生まれる。人間が行動を起こすため、より高見を目指すため。今という現状に安寧することなく、チャレンジをするための必須の原動力。欲望とは人間には不可欠だ。 私は欲深く罪深い人間です。自らの欲望に抗うことが出来なかった。仕事のストレスを解消するために、日々の悦楽に浸っていたのです。抗えない。 抗えない食欲。 食欲は恐ろしい。欲望のまま、摂取した無駄なカロリーは知らず知らずのうちに蓄積していく。 人間の生き残る知恵、
読書とか、物語書いてるときとかって、精神状態やばくないですか? 作詩とかやってると、ヤバいくらいキマりますよね! 私はイラスト描いてるときも楽しくて仕方ない。時間が溶ける溶ける。一日中そのことで頭がいっぱいで、描くためにごはんを手早く済ませることもある。 今まではただ描いてただけなので、せっかくだから、私の稚拙なイラストの制作過程を記事にしてみる。 まずはザックリと顔のアタリをつける。 私は背景とか、全体の構図を考えてイラスト描くとかできないんです。もう、人物
行き詰まる。人生生きていれば、何かに迷い解決策が思い浮かばず、行き詰まりのどん詰まりにハマることはある。はず。 私は今行き詰まっている。 仕事が嫌だと思ったことはない。むしろ天職なんじゃないかしらと思う事さえある。特別に仕事ができる人間ではないし、高い理想を求めているわけでもないが、それでも看護師という今の仕事に誇りも持っている。つまり私はこの仕事が好きだ。しかし、なにせ人間関係が苦手なんです。 仕事場には様々な人間がいる。究極の理想を掲げる人、ただ何となく働いて
まるで時が止まってしまったようだ。締め切ったカーテンの隙間からはうっすらと青い光が差し込んでいる。 彼女はカーテンを開けて窓をひらいた。暦の上では秋と言われているが、日中はうだるような暑さが続いている。しかし、今の窓の外はどうだろう。涼やかな空気が世界を包んでいる。そしてひっそりと生き物の気配のしない街。 彼女はそんな外の世界を眺めて心配になってきた。もしかして世界には誰もいなくなってしまったんじゃないだろうか。 自分が宿題に集中している間にこの世界は死んでしま
部屋の中にはペンをノートに走らせる音だけが響く。似たような作業を黙々とこなす彼女はまるでロボットにでもなったようだ。 たった一人で稼働し続けるロボット。誰もいない工場で稼働し続けるロボット。彼女はちょっと楽しくなってきた。 ちょっとだけ、動きをカクカクにしてみる。文字をちょっとだけカクカクにしてみる。暇で死にそうな彼女は最悪にも宿題で遊び始めた。 すでに時間は深夜。外の街はひっそりと静まり返っている。たった一人でロボットの真似をしながら適当に宿題を片づける彼女。
ペンが動かない!さっきまで順調に処理出来ていた宿題なのに、まるで魔法にでもかかったようにペンがピクリとも動かない。 いや、動かせない。彼女の全身全霊の力を持ってしても微動だにしない。動かない、いや、もう動かしたくない! 突如彼女はペンを勢いよく放り投げる。そして立ち上がり、そのまま部屋の中をぐるぐると歩き回り始めた。 なぜ自分は宿題をしているのだろう。そんな疑問が彼女のなかに湧いてきた。 すでに日も暮れた。街の明かりも少なくなり、すでに眠りについている人もいるであろ
宿題を、肩肘を付きながら適当にこなす彼女が、窓の方を見ると外はすでに真っ暗になっていた。 彼女は宿題の手を止めカーテンを閉めようとした。閉める間際ふと窓の外を眺める。 眼下の街には街灯が煌めき、人々が行き交っている。その光景は彼女には何やら楽しそうに映った。 自分は小さな部屋の中で苦しみ悶えているというのに、外の街並みや行き交う人々はなんとも幸せそうだ。 まるで天国と地獄だ。さしずめこの部屋は地獄。宿題と言う地獄の責め苦を受ける私。彼女はそう感じ急に悲しくなって
いったいどれほどの時間宿題をやり続けているのだろう。 黙々と宿題をこなす彼女はふと気が付いた。今日は一言もしゃべっていない。部屋には時々母親がごはんを届けてくれたが、頷くのみで言葉を発していない。 彼女はふと心配になってきた。もしかして、もう声がでなくなってしまっているんじゃないだろうか? 心配になった彼女のペンは止まった。そしてさらに考えた。いや待てよ。もう声がでないかもしれない。これは一大事だ。だって声が出ないんだもの、病気じゃないか。宿題どころではない。朝一番
陽も暮れて、部屋の中は薄暗くなってきた。昼から夜に移り変わる薄紫色の美しい景色は、人の心を奪うようだ。 部屋で宿題に取り組んでいるはずの彼女も例外ではない、窓の外の景色をしばらく眺めている。 しばらく、眺めている。 そう、彼女は現実逃避中だ。 宿題はいまだに山積み、書いても書いても一向に終わりがみえない。 もうやりたくない。終わりの見えない作業に、彼女は嫌気がさしていた。 美しい空を眺めながら彼女は考えた。このまま白紙で提出してみたらどうだろう? もし
部屋に差し込むオレンジ色の夕日は、いまだに真夏の熱を残しながら、机も箪笥もすべてを同じ色に染めあげる。 その部屋の中には無言で机に向かう少女が一人。机の上には高く積み上げられた夏休みの宿題。すべて手つかずの状態だ。 そして今日は夏休み最終日。つまり彼女は残された今日という一日、いや、翌朝までの十数時間ですべての宿題を終わらせなければならない。 彼女に弁解をする余地はない。夏休みの初日から宿題はできたはず。しかしやらなかった。 初日から全力で夏休みを謳歌した、全
坂口安吾著「私は海をだきしめてゐたい」もうタイトルでやられる。 物語という物語はなく、男女の恋愛感情を書いた作品。短編で非常に読みやすい。しかし全体的に詩的、散文詩的っていうのでしょうか。全体的にキレイだなと感じました。 【あらすじ】 生きることに対して一抹の不安を感じている「私」の視点で物語は始まる。浮気性でズルい性分であることは分かっていて、しかしそれをどうすることもできない「私」。 そんな「私」は自分に安心感を与えてくれる女性と出会うこととなる。その女性