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自分の葬儀でどんな弔辞を読まれたい?『7つの習慣』

どういうこと?

と、タイトルを見て思われた方も多いと思いますが、次の場面を想像してみてください。


あなたは、親しい友人の葬儀に参列しています。斎場には故人との別れを惜しむ多くの人が集まっていました。

あなたは前方にある棺に歩みより、故人のお顔を拝見します。

驚いたことに、なんとそこに横たわっていたのはあなた自身でした。これは、今から3年後に行われるあなたの葬儀だったのです。

 ここで深く考えてみてほしい。これらの人たちに、あなた自身あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいだろうか。彼らの言葉で、あなたがどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいだろうか。(中略) その場に集まっている人たちの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生に、あなたはどのような影響を及ぼしたかったのだろうか。

スティーブン・R・コヴィー『完訳 7つの習慣 人額主義の回復』キングベアー社(2013年)※初版発行:1989年 以下、引用はすべて本書から

上記は、全世界で4000万部を売り上げた大ベストセラー『7つの習慣』からの抜粋です。

実りある生き方をするための人生哲学ともいえる本書の中で、著者は「すべてのものは二度つくられる」といいます。

家を建てる時には設計図が必要なように、すべてのものは、まず頭の中で「想像」されてから、実際に形あるものとして「創造」されます。

設計図がしっかりしていなければ、釘一本打つことはできません。
同じことが、人生にも言えます。

どのような人生にしたいのか「終わりを思い描くこと」、つまり、最終的なゴールを想像してみるところから始めなければ、本来何をすべきかさえ分からないはずです。

あなたは、自分の葬儀でどんな弔辞を読まれたいですか?

夫 (妻) に、どんな妻 (夫) だったと語ってもらいたいでしょうか?
自分の子どもに、どんな母親 (父親) だったと語ってもらいたいでしょうか?
同僚に、どんな人間だったと語ってもらいたいでしょうか?

自分の葬儀で述べてもらいたい弔辞を真剣に考えてみることは、自分の奥深くにある価値観を見つめ直し、ゴールを想像してみることです。

 すべてのものは二度つくられる。これは原則である。しかし第一の創造が常に意識的に行われているとは限らない。(中略) 家族や同僚から押し付けられる脚本どおりに生き、他者の思惑に従い、幼い頃に教え込まれた価値観、あるいは訓練や条件づけによってできあがった脚本を演じるという、周りのプレッシャーに反応するだけの生き方になる。

私たちは、生まれた国や地域、時代、受けてきた教育、周りの人々からの多大な影響を受けて生きているので、時に人生の設計図を無自覚に他人に委ねてしまうことがあります。

周囲から期待される生き方が、本当に自分の本心であるか確認する意味でも、「最終的に、どんな人物だったと言われたいか」を考えてみることには価値がありそうです。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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