自分の葬儀でどんな弔辞を読まれたい?『7つの習慣』
どういうこと?
と、タイトルを見て思われた方も多いと思いますが、次の場面を想像してみてください。
あなたは、親しい友人の葬儀に参列しています。斎場には故人との別れを惜しむ多くの人が集まっていました。
あなたは前方にある棺に歩みより、故人のお顔を拝見します。
驚いたことに、なんとそこに横たわっていたのはあなた自身でした。これは、今から3年後に行われるあなたの葬儀だったのです。
上記は、全世界で4000万部を売り上げた大ベストセラー『7つの習慣』からの抜粋です。
実りある生き方をするための人生哲学ともいえる本書の中で、著者は「すべてのものは二度つくられる」といいます。
家を建てる時には設計図が必要なように、すべてのものは、まず頭の中で「想像」されてから、実際に形あるものとして「創造」されます。
設計図がしっかりしていなければ、釘一本打つことはできません。
同じことが、人生にも言えます。
どのような人生にしたいのか「終わりを思い描くこと」、つまり、最終的なゴールを想像してみるところから始めなければ、本来何をすべきかさえ分からないはずです。
あなたは、自分の葬儀でどんな弔辞を読まれたいですか?
夫 (妻) に、どんな妻 (夫) だったと語ってもらいたいでしょうか?
自分の子どもに、どんな母親 (父親) だったと語ってもらいたいでしょうか?
同僚に、どんな人間だったと語ってもらいたいでしょうか?
自分の葬儀で述べてもらいたい弔辞を真剣に考えてみることは、自分の奥深くにある価値観を見つめ直し、ゴールを想像してみることです。
私たちは、生まれた国や地域、時代、受けてきた教育、周りの人々からの多大な影響を受けて生きているので、時に人生の設計図を無自覚に他人に委ねてしまうことがあります。
周囲から期待される生き方が、本当に自分の本心であるか確認する意味でも、「最終的に、どんな人物だったと言われたいか」を考えてみることには価値がありそうです。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。