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#67『ケアしケアされ、生きていく』「ケア」の視点から社会を考える

大学で働いていると、「相手の顔色をうかがう」学生が本当に多と思います。それは、小中高の十二年間の教育や、それまでの「しつけ」を受ける中で、「大人の顔色をうかがって、許してもらえそうなことをした方が、うまくいく」という「成功体験」が刷り込まれているからではないか、と思っています。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

上記は『ケアしケアされ、生きていく』という本の中の一節です。

なんだか自分のことを言われているようで、ドキッとした方もいらっしゃるのではないでしょうか?

『ケアしケアされ、生きていく』は、現在の日本を覆う生きづらさを「ケア」という視点から考察し、お互いがケアしあう関係性を提唱している作品です。

「ケア」ときくと子育てや介護など「誰かへのお世話」をイメージする方が多いと思いますが、本書でいう「ケア」はもっと概念が広く、ずっと身近にあるものです。

・なんとなく感じる、生きづらさ
・自分自身への自信のなさ
・今の生活に充足感がないこと

一見関係がなさそうな、これらすべてのことに「ケア」が深く関係してくるといいます。

著者は、次のように述べます。

(前略) 自分自身が他者の顔色をうかがい、理不尽にも耐え、言いたことも言えず、やりたいこともやらず、他者の意向を優先し、我慢し、それでも地道にコツコツ努力している。周りを見回せば、みんな同じように「迷惑をかけるな憲法」に従っている。それが「当たり前」なのに、その憲法を無視して、自己主張をしたり、わきまえなかったり、好き勝手にしている (ように見える) 人は許せない。自分はこんなに頑張っているのに、わきまえない人をみると、自分自身のことが自己否定されているようで、許せない……。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

こういった思いを、少なからず皆が抱えており、他人を思いやり、配慮する気持ち (ケア) を欠いているから、日本は生きづらいのでは?という主張には考えさせられました。

「空気を読む」とか「忖度する」という文化も、この辺と深く関係していそうですね。

さらに、「他人に迷惑をかけてはいけない」と必死になり、誰かの顔色をうかがって、自分の思いや意見を押し殺し、伝えるのを諦めてしまうことは、自分への気遣いや配慮という意味での「魂へのケア」が決定的に欠けている状態だと言います。

自分自身に対して「ケアレス」な状態です。

もし、漠然とした生きづらさを感じているなら、他人や自分自身が許せないことがあるなら、本書を通して「ケア」について考えてみることで、なんらかのヒントが得られるかもしれません。

より詳しい解説記事も書いていますので、よろしければこちらも読んでみて下さい。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。



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