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アパレルショップに立ち寄ると思い出してしまう出来事

機能性重視!だった私の「服選びに関する基準」が変わりはじめています。

「ちょっとおしゃれな服、買ってみようかな」
という気持ちに素直になって、久々にアパレルショップへと出かけました。

セーターが欲しいと思ったときも、以前は、汚れてしまったら潔く手放せる価格帯の中で選んでいましたが、許容できるお値段を今までより少し高く設定するだけで、より自分の好みのデザイン、上質な素材をつかった商品がたさん見つかって、選択肢が広がります。

その分、選ぶのに時間が掛かるようになりますが、
「どれにしようかな?」
と悩む時間を心から楽しめるようになっていたことは、自分でも驚きでした。

「おしゃれ心」は何歳になっても、取り戻せるみたいです。


さて、上機嫌で服を新調した私でしたが、アパレルショップに立ち寄ると、どうしても思い出してしまう出来事があります。

それは、半年ほど前、少し家から遠いショッピングセンターに足を伸ばした時のこと。

「これはいい」という商品に出会ったのですが、欲しい色のSサイズが陳列棚にありません。
そこで、店員さんに在庫確認してもらうことにしました。


店員さん:「当店には在庫がなくて、○○店から取り寄せる形になります。」

私:「自宅に配送していただくことはできますか?」

店員さん:「申し訳ございません。配送は行っていなくて、こちらに取りにきていただくことになります。」


…そりゃそうか。数年前の私であれば、

私:「そうですか、分かりました。」

と言って取り寄せをお願いし、1週間後に同じ店舗に商品を取りに行ったと思います。

でも、そのときは次のように思ってしまったんです。


“家から出なくても 、ポチるだけで次の日には商品が届くこの時代に、
何でわざわざ一週間待って、さらには車で20分もかけて実店舗まで商品を取りに行かなくてはいけないのか?”

そんな思いから、結局、商品の取り寄せを断ってしまいました。

さらに私をモヤモヤさせたのは、家に帰ってネットショップを調べてみたら、欲しい色のSサイズがちゃんとあったこと。

ネットショップがあるなら、教えてくれてもいいのに。
もしかしたら、ネットショップを紹介したところで、その店舗の実績 (売り上げ) には繋がらないから、なるべく店舗で買って欲しかったのかな…?

と邪推までしてしまいました。


今ではインターネットで買い物をすることは珍しくなくなりましたが、利用しはじめた頃は、
「簡単に買いものができて、しかもこんなに早く届くなんですごい!」
と、その便利さに感動しました。

でも、それが繰り返されていくと、いつのまにか「ポチればすぐ届く」が当たり前になっていく。

便利な世の中に慣れ過ぎて、それを当たり前のように感じてしまうと、ちょっと不便な状況に対する「寛容さ」がなくなってしまう気がします。

以前に読んだ『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』の中にこんな一節があります。

(前略) サービスに対する期待度を下げてしまえば、サービスが悪くてもあまり不快に思わない。「自分はお客様なのだから、良いサービスを受けて当たり前だ」と思い込んでいると、サービスが悪いと頭に来る。

本書によると、ドイツ人の接客サービスの悪さは有名だそうです。

著者は、「ゆとり」ある社会への第一歩は、自分でできることは他人に頼らず、期待度と甘えを減らして過剰なまでに手厚いサービスを求めないことだと言っています。

もしかしたら、

「なんでわざわざ、お店まで取りに行かなきゃならないんだ。」
「ネットショップがあるのに、なんで教えてくれないんだ。」

と思った私は、過剰なサービスを期待し、社会全体の「ゆとり」を奪うような考え方をしていたのかもしれません。

アパレルショップに立ち寄る度に、このことを思い出し、ちょっぴり複雑な気持ちになるのでした。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

※この記事は、
『#20 便利な世の中は当たり前?|「何でわざわざ実店舗まで…」という気持ちの背景』という投稿を加筆・再編集しています。

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