砂山影二「坊ちゃんの歌集」 3
「坊ちゃんの歌集」の最終回です。ここに影二が死に向かっていく謎を解くヒントがあると思います。読まれた感想などは、皆様方のSNSなどを通じて発信していただければと思います。影二の作品を多くの人に知ってもらい、興味を持った方は是非、函館にいらっしゃって影二の歌碑(墓標)を訪ねてみて下さい。啄木一族の墓より、立待岬側にございます。
ぽつねんと
過ぎ来し方を思ひ出でつ、
大晦日の夜の疲れし心。
疲れたるごとき心に
たゞひとり餅を焼きゐつゝ
除夜の鐘聞く。
夕まぐれ、
雪の積もりし焼跡に
鴉群れつゝ啼き騒ぎをり。
吹雪だ!
子供のやうによろこんで
いつになく今朝は早く起きたり。
ひとり、ふたり、小僧が逃げた
冬の日の
工場に黙して働らきてあり。
女!女!かう呟やいて
何がなし、淋しくてならず、
氷雨ふる夜。
冬の空はれて
あかるく雪とくる
風なき午後の温かさかな。
冬の雨、いたくもふれば
何やらん
別れし人の恋しくてならず。
くだらなき
噂がいつかたつてをり、
友と別れて帰る夜の寒さ。
女湯に
ほそぼそきこゆ津軽ぶし、
場末の湯屋の夜はおそきかも。
幾度か焼かんとすつれ、
ひとたばのこの文は悲し、
今日も読み出づ。
湯の中を
子供のやうに泳ぎまはり、
疲れては胸のときめきを聞く。
温泉の宿の
灯ともる頃はうら悲し、
潮騒たかくとゞろきにつゝ。
温泉の宿を出づれば
暗し、風寒し、
空にほのけき星震ふ見ゆ。
雪夜ふけ
つぶやくがごとく目つぶりて
失恋の君は語り出でにき。
愛吉よ、
わが泣きぬれて書きし文、
汝は友どちへ見せしとかいふ。
何もかもうちあけて語り
夜ふけの
カフエー出づれば降りしきる雪。
讃美歌を
口ずさみゆく君とわれ、
夜ふけの街に雪降りしきる。
かく悶え、かく悲しみて
くれなゐの
若き心は狂はんとしつ。
この恋も破れて
今は疲れたる
心ひそかに、旅を思へり。
はつとして
われにかへりてをのゝけり、
――自殺のことを考へてゐし。
小僧がひとり叱られてゐる、
わが父のとがつた声よ、
頭がいたむ。
ピヨーピヨーと口笛がなる
さつとして開かれた
窓のみどり色のカーテン。
叛逆者のごとき心もて
聞いてゐた、
禁酒のことを説く牧師かな。
思ひ出づる赤きかんざし、
春浅きかの夜の君よ、
せつに恋しも。
その頃よ、
いたくも君を罵りて、憎みて
吾は悲しんでゐき。
君が文来ぬ日といへど
安らけく
信じてをれば悲しみもせず。
叱られて、しやくに障れば
食ふにいゝだけ
飯を食ふといふ、小僧もありき。
春来る、春は来ると
わが心
たゞにうれしく今日も街に出づ。
春浅き磯に集ひて
貝拾ふ少女の群よ、
陽はうらゝかに。
らんまんと櫻よ咲かば
去年のごと、
われは踊らむ人群れの中に。
命日を詣で来つれば
啄木の古りし墓標は、
雨に濡れをり。
(啄木の命日に四首)
立待岬
しよんぼり立てる啄木の
墓標に夕べの雨はそぼ降る。
打ち集ひ著書を手にしつゝ
亡き人を
語らふ雨の夜はふけにけり。
啄木が遺して逝きし
ふたりの児
亡き父母の写真見てをり。
鐘太郎、
まづ函館の彼等をば
眼鏡光らせて罵倒せりけり。
しきりにも
ずぼらな友の生活をうらやむ心、
春となれりけり。
ふけまさる夜を眠らえず、
悩ましく
心しきりに乳房をおもふ。
風船屋のゴム風船が
春風に吹かれてゐたり、
公園のひる。
来る筈の友来ぬ夜なり、
鉄ぶちの
眼鏡の錆をふいてゐる心。
(若い日が再び来ない。)
恋をなさねば損する如く
思ひしかわれよ。
(けむし)といふ
あだ名のあつた、かの教師
「死去す」と今日の新聞に出た。
死のことゝ家出のことが
かはるがはる
叱られし日の心よぎれる。
ねそべりて
ふかす煙草の青けむり
舞ひて昇るを見てゐたるのみ。
「大男総身に智恵がまはりかね」
小さい子供が
云ひて逃げしかな。
やりどころなき悲しさよ、
あゝ今宵も
したゝか酔ひて帰らんと思ふ。
あひびきの文を抱きて
病床に
ひそかに悶え悲しみてあり。
待ちわびし
公園の櫻、咲きそめしに
つれなくもわが病みいでしかな。
櫻咲かば
去年のごとく踊らむと、
心たのしく待ちゐしものを。
病癒えなば
歌集を出さむなど考へぬ、
雨ふりしきる、熱のひくき午後。
鐘太郎、
少し心がひねくれて
われに見ゆる日よ、さびしくてならず。
教会に牧師の説教を
聴いてゐつ
欠伸をかむで涙出でたり。
待てど、待てど、
出した手紙の返事が来ず、
気まり悪さを今日も感ずる。
ねむらんとしつれど
君が細き声の
耳に残りて眠られぬかな。
その夜君と
はじめて言葉を交したる
青きシヨールを忘れかねつも。
今までの
日記を全部焼いた日よ、
ホと息づきて淋しかりけり。
不良少年に
なりたるごときこゝちして
自分で自分を恐るゝ日かな。
かはりゆく義姉の心よ、
今日もまた
悲しきことを言ひこせしかな。
生活の記録は
灰と化しにけり、
その前に心、やゝ新らたなり。
さめざめと雨降りやまぬ
けだるさよ、
勇の恋歌などよみふけりゐる。
琵琶うたふ群にまじりて
わが心
別な世界へ来れるごとし。
落としたる手紙の行衛を
気にしつゝ
赤き入陽をしばたゝき見る。
その胸に
頬をうづめんとしたりける、
隣りの女の強き匂ひに。(活動写真にて)
ゴンドラの唄をうたひて
砂山に
泪せし日をなつかしむかな。
愚か者、阿房者よと
草に頬を埋めて
われを嘲けりて泣く。
違つた群へ
自ら求めて這入りゆく
悲しきはわが気まぐれの心。
冷えてしまへば
かうもなるものか、わが心、
来れる文は読まずに焼けり。
船は行く
甲板上に鐘太郎、
眼鏡光らせて煙草くゆらす。
(修道院ゆき)
トラピスト修道院を
甲板の上より、はるか
手をかざし見る。
ひろびろと青き
野原のひとすぢの
修院に通ふ赤土の路。
なりひゞく
修道院の鐘の音よ、
草丘に坐り、うなだれて聞く。
きらゝかに
みどりの丘の修院の
赤き煉瓦に夕陽かゞやく。
みどり児を
胸に抱きて柔らかき
その感触に泪ぐましも。
何やらむ腹だたしくて
たゞひとり
やたらに煙草をふかしてゐたり。
たゞひとり
やたらに煙草をふかしては
かろきめまひをなつかしむ夜。
ウヰスキーをあほりて
今はめくるめき
たをれんばかり酔ひたりわれは。
友も酔ひたり、
互に肩を組み合せ、
深夜の街をよろめき歩む。
声高に物言ひ合ひつ
よろよろと
二人は歩めり、深夜の街を。
「こゝは何処ぞ」
かく幾度か酔へる友、
われに問ひてはよろめきにけり。
血を吐けり、
鼓動止まる如く
はつとしてうち驚ろけり、
酔へば苦しき。
うちのめり、眠られもせで
恐ろしき夜はあけぬ、
胸に手をあてしまゝ。
睡眠不足、
用あるごとく家を出て
今日も図書館に寝に来たるかな。
しみじみと雨ふる故か
いろいろの
悲しきことの胸をよぎる日。
かなしくも恋ふる心か
いとし君を
夢見ることの多くなりしは。
君がため捕へて来たる
大沼の螢は
今宵もほのかに光りて。
戻されし手紙を手にして
涙落ちぬ、
心は遂に君を憎めり。
寝不足の心のだるさ、
ぽんぽんと
曇りし朝の空に煙火が上る。
君に別れ
通りかゝりし劇場の裏
ピアノの音の洩れてきこゆる。
秘めてをけぬ性が
なしたるわざはひと
月に向ひてこの夜は嘆く。
書かなくてもいゝことまで
書きて送りたる
かの文をしきりに気にする日かな。
秋風が吹く、秋風が吹く、
と、つぶやきて
今宵ひそかに涙をながす。
カルメンに汝をなぞらへて
この野辺に
蝶を追ひつゝひとりあそべり。
泣き疲れ瞳あぐれば
この野辺に
ひつそり赤き月が出てをり。
このまゝに命果てなば
憎き君も
少しはわれを哀れむらんか。
ひとことの答へを
いかに求むれど
憎らしきまで打ち黙す君。
足をふり、手をふり、ひとり
秋の夜の
うすくらがりを歩んでゐしかな。
騒げるだけ、うんと騒ぎて
こつそりと
死んでしまひたい、このごろの願ひ。
家にこもり
まじめになつて、いちん日
死ぬことばかり考へてゐた。
秋の夜は
街に行きあふどの女も
美しく見えて何かなやまし。
新聞に
自殺の記事がまた出でぬ、
死にゆく人をうらやむ心。
一時間ばかり
くだらなきことをしやべり合ひ
電話をきりて淋しくなれり。
工場をのがれ
途中まで行き、また急に
働らきたくなり、戻りて来しかな。
うなだれて
公園の裏の細道の
落葉ふみゆき、泣きたくなれり。
岬に、
落として来たる歌手帳、
誰に拾はれ、いかになりけむ。
みすぼらしき
労働服に下駄はきて
街行くことにも馴れて悲し、秋。
大騒ぎなしたるあとは
しんしんと
泣きたきばかり、淋しさの湧く。
逢へばまづ唄へり
われらの仲間、
そのひとときは憂ひなきごとし。
集ひよつた友の誰も彼も
いちやうに
俺のふところをあてにするごとし。
大騒ぎして
友と別れてたゞひとり
電車に乗ればやがてつまらなし。
鐘太郎、眼鏡光らせて
踊らんばかり
月よき今宵をはしやぎてをり。
懸取りに客と喧嘩して
つくづくと
商人が嫌になりにけるかな。
君に別れて
淋しく帰る路傍に
小便しつゝ流星を見る。
恋の唄、君が前にし
じやうだんの如くにうたひて、
心は泣けり。
心にもなきお世辞など
口にして
誰にともなく嘲けりの湧く。
困つたものだと、父や思ふらん、
かく思ひつ
今日も遊びに家を出でたり。
昼飯を食へば
まづ裏の浜に出て
煙草のむ癖もつきにけるかな。
あやまてる心なりとて
こんこんと
われをさとしゝ友ありしかな。
死ぬことに
あこがれをもつてゐるのかと
たかだかとして笑ひしか友よ。
気がつけば
煙草をのんでしくしくと
泣いてゐしか俺よ、大雪の夜に。
萬歳の声に送られて
行く君よ
入営の夜の風は寒しも。
(愁果の入営の夜に)
君をかこみて
夜の埠頭にわれら歌ふ
チペラーリーの声もふるえて。
一九二〇――了