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砂山影二「銀の壺」掲載原稿 5

「銀の壺」も第5号まで辿り着きました。ここから筆名を砂山影二と変えています。三行書きにはまだなっていません。いろいろな変化のあった号でした。結社の住所を移す関係で、別紙が差し挟まれていました。

「銀の壺」第五號


 大正八年三月二十日印刷納本 ・ 大正八年三月廿五日發行

P88   ■『うなだれの心』■


砂山影二

たゞひとり砂をいぢりて砂山に秋の日をわれ泣きぬれてゐし

学生の日をなつかしみひつそりと母校に近くさまよひて来し

なつかしさに学生の日の汚れたる袴をつけて街に出づるも

夜ふけの風は冷めたしトタン屋根のぼりて見たる遠き火事かな

気まぐれに戀文めける文書きて君に送りし秋の夜さびし

うちあけて語り夜ふけの十字路にさまよひ来りて友と別れぬ

「若いんだ」かくつぶやきておそ秋の澄みたる高き空を仰ぎし

やうやくに親しみ深くなりし友悄然として都を去りぬ

物も言はずたゞ手をかたく握りしめ夜の桟橋に君と別れし

ぬれ雪のしんしんとして降る夜ふけ夜業を終江て外にたゞずむ

しんしんと雪降りしきる夜ふけの街にたゞずみ泣きたくなりし

電車絶江し夜ふけの街に人ひとり見江ずしんしん雪はふりつむ

さらさらと窓うつ粉雪夜の部屋に白蝋の灯のゆらぎかなしも

しくしくと頭痛むを感じつつ雪降る夜の街にたゞずむ

何故にかなしいのかと泣いてゐる自分の心を笑へる日かな

青白く月は輝くうなだれて雪つもりたる街をさまよひ

酒場より帰る夜ふけを蒼白く冴江てかなしき冬の月かな

冬の月いよいよ冴江て夜ふけの青きが中に街は眠りをり

用もなく飄然と夜の停車場に来て人ごみの中にまじりし

冬の夜をカフェーに集ひ友どちと盃あぐる青き灯のもと

われひとり偉きがごとくふるまひてあるかの男を憎める日かな

夢に見し服着し男の奇(く)しき顔その日いち日気にかゝりゐし

くだらなきふるまひをして帰り来し夜をしみじみ冬の雨ふる

火事場より帰り来し夜のふけてあり軽く疲れて床につけるも


P94  ■『十八の春に』■


くさゆめ

▼十四日の晝、草三郎から書留でもつて待ちに待つた原稿の小包が届きました。心をおどらせて開いて見ると、どさりと澤山の原稿が出て来ました。まアどんなに私はうれしかつたろう。都を遠く離れて寂しい故郷の空にわが若枝草三郎はこの編輯をして呉れたのです
▼しばらくして私は、こんなに澤山な原稿を三月二十日までに印刷を終江る事が出来るだらうかと少し心配になつて来ました。
而し――第五號の出る日を、どんなにみなさんはお待ちしてゐるでせう。――かう思ふともうぢつとしてゐられません。
▼梅原香三郎は北見の寒村へ行つてしまふし若枝草三郎は陸中なる故郷へ帰つてしまふし伊東醉果は或る深い事情のもとに同人を止めるといふし、ほんとうにさびしくなりましたしかし私達はいかに離れ離れになつても、「銀の壺」を永久に育てゝ行く決心です
同じやうにこの「銀の壺」を愛して下さるみなさまよ。どうぞ永久にお力添江下さる様、せつにお願ひいたします。(二月十五日夜)


別紙  ■【印刷を終江て】■


中野草夢

漸うのことで印刷を終江ました
長ーい間お待たせして本當にすみませんひどく急いでやつたので 印刷や活字の組方の非常にまづかつたことを おわびいたします からだも こころも しつかり疲れてしまひました
しかしこの製本を終江た時 私は疲れもなもみんな忘れてしまつて 出来上つた 銀の壺 を手にして うれしさのあまり 踊ることでせう
  今度 夜光詩社を 私の家(函館辨天町六中野方)へおくこと  になりましたからお知らせしてをきます
『三月十八日夜』

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