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ありふれたありきたりなもののうつくしさ
私は写真を撮るのが得意ではない。
特に食べ物を撮ると被写体の魅力が半減どころかマイナスになり、妹からの評判はすこぶる悪い。
撮った自分でさえもそう思うのでしょうがない。
今思いついたが、今度下手な写真をまとめてUPしてみるのも面白いかもしれない。
いつかUPしてみよう。
さてそんな私だが、下手でも写真を撮るのは好きなのだ。
食べ物の写真はあまり撮らないけど、美しい風景は写真に収めたい。
色や光を切り取りたい。
そうして自分なりに楽しんで写真を撮る。
センスのない私がとる写真は「ありふれた写真のありきたりな構図」になりがちだ。
時々インスタに上がりそうな写真をイメージして構図をアレンジしてみるのだが、いまいちしっくり来ない。
自分が閉じ込めたかった景色ではなく感じるのだ。
まだまだ勉強と経験が必要だ。
でも、そんな「ありふれた写真のありきたりな構図」には美しさと安心感があると思っている。
「ありふれた・ありきたりの物」になるには多くの人がその存在について共通の認識を形成することで初めて成り立つ。
多くの人に美しいと感じさせる何かがあるなんて素晴らしいことだ。
そしてそこに安心感があるからこそ長い間受け入れられるのだろう。
日常の生活の中で「ありふれたもの」が「ありふれたもの」になる所以は忘れがちだが、大切な何かがあるのかもしれない。
と、自転車から降りて撮った自分の写真を肯定にするために思うのであった。
追記:斬新な色遣いや構図の写真には安心感よりも刺激が多いのではないだろうか。そんな写真もいつか撮れるようになったらいいなと思っている。