10月26日(土) なれない
嫉妬はよくないんだって、難しい。ずーっとずーっと嫉妬して生きてきたからなぁ、今さらね、難しいね。
わたしがもってないものをもってる人っていうのはこの世の中にはごまんといて、自分を肯定できないわたしは嫉妬しちゃうよ。容姿や家族仲なんて、わたしがじゅうぶんに得られなかったものの最たる例。それをどっちももってるんだから、羨ましいなって思ってしまうの。いくら毎朝顔をお化粧で作っても、すっぴんのままでお化粧したわたしよりもかわいいあの子にはなれない。いくらわたしが過去を恨んで泣き叫んでも、家族関係が良好な家庭の子どもにはなれない。愛される容姿と愛嬌があって、誰にでもかわいがられてずるいよ。対するわたしは、話しかけずらいと言われる容姿に他者への強い警戒心。甘え方なんてわからない。誰にも愛されない。
わたしは一生誰かを羨み続けるのかな、嫌だな。
もういいかげんわかってよ、わたしはなれない。わたしはあの子にはなれない。
友達が女児になりたいとか言うたびに、幼いかっこうをするたびに羨ましかった。正直わたしだって幼くなりたい。ずっとそう思ってきた。4歳のわたしは赤ちゃんになりたかった。年長さんのわたしは年少さんになりたかったし、高校生のわたしは中学生になりたかった。妹が生まれたときもそうだったし、小学校2年生になって縦割り班に1年生が入ってきたときもそうだった。だんだん自分の下の年齢の子たちが増えていくのが嫌だった。だんだんと年上の人たちに愛されるべき守られるべき存在から離れていくのがつらかった。わたしだってかわいいお顔をもっていたら女児になりたかったよ。だけどさ、残念なことにわたしにはそれが似合う容姿がないの。だからわたしは言葉を使った。わたしの代わりにお兄さんお姉さんに愛されておいでと送り出した何人もの主人公たち。きみたちはいいね。抱きしめられたいときはお兄ちゃんやお姉ちゃんに抱きしめてもらって、わたしが泣きたいときはわたしの代わりに泣いて優しくされて。あくまでもわたしではない。書いてきたおはなしによって、主人公は弟のときも妹のときもある。だからわたしじゃないんだけど、やっぱりわたしなんだよねぇ、難しい。ただその子が優しくしてもらえることでわたしが優しくしてもらえたように感じて満たされた気持ちになるの。わたしがしてほしかったことを全部、その子にしてあげるの。書きたいシーンだけを頭に浮かんだ早さで文字にしているから、地の文なんてほぼほぼない。だからたぶん小説とかいうものではない。小説よりもっと個人的な、もっとわたしのためだけの。わたしの愛されたい欲を満たすためだけに、幼稚園年長さんから今の今まで、生きることの次に人生で一番長く続けてきたこと。わたしの心を守ってくれるだいじなだいじなおまもり。幼いころは紙に書いていたおはなし。今では小説を書けるアプリに綴っている。家でも学校でも電車でも、わたしの心が弱ったら書き溜めてきたお家を覗きに行くの。ね、もうちょっとがんばれそうでしょ。
わたしに綴られた、お兄ちゃんお姉ちゃん。わたしを思いっきり甘やかしてくれてありがとう。わたしを弟や妹にしてくれてありがとう。
おはなしのなかではわたしは満たされている。だから、もう少しだけ現実を見ていても、きっと大丈夫。