自分に正直に生きるようにしてみたら少し楽になった話
唐突だけど、わたしにはママ友がいない。
あんまりいないのではなく、本当に一人もいない。
“いない”と表現したけれど、“作らなかった”という方が正しい。
もちろん、その時々で子どもたちと仲良くしてくれているお友達のお母さんに「いつも仲良くしていただいて…」なんて声をかけたり、かけられたり、などの親として最低限の挨拶くらいは交わしていたけれども。
そんな選択ぼっち歴10年のわたしも、学生時代なんかはひとりぼっちが怖くて、誰かにしがみつくことに必死だった。
なんでいらない?
ママ友や友達がいらない理由ってなんだろうとざっくり挙げてみると、
ざっとこんなもんだろうか。
ちなみにわたしは最後以外全部である(ドヤ)。
過去にいろいろあり基本的に人間不信なので、人と深く付き合うことに煩わしさしか感じておらず、どんどん避けるようになっていってしまった。
ひとりでいること
友達がいると楽しいこともあるし、安心感もある。けれど、その数だけトラブルも付きまとう。ならば、と友達を作らずに過ごしてみたら、寂しさや孤独感よりも、気楽さや煩わしいことに巻き込まれない快適さが圧倒的に勝ったのである。
そんな少し悲しいことに気づいてしまったのはもう随分と大人になってから。
いま、もし学生時代に戻れるなら今度はひとりで過ごせる、すこしかっこいい女の子になってみたい。
“ひとり”と“ひとりぼっち”は似ているようで違う。
自分の意思で選んだ“ひとり”は決して寂しいものではない。
適量を知る
ママ友含め友達0で10年近く過ごしてみた結果、困ったことは今のところ一切ない。なんならぶっちゃけ快適でしかない。
子どもたちは園や学校でそれぞれに勝手に友達を作り、勝手に遊んで帰ってくる。
園や学校で必要なものや変更点、欠席の連絡なんかも今や全部アプリで出来てしまうので、今のところ横の繋がりの必要性は感じていない。
元々ひとりで過ごす時間がすきで苦にならない性格なら、ママ友はもちろん友達を持たないという選択は人間関係に悩まされないストレスフリーな人生を送ることができる。
ただ、これらはあくまでわたしの経験においてのわたしの中での結論なので決して「友達とかママ友なんか絶対作らないほうがいいよ!」とおすすめしたいわけではない。
要は“自分の適量を知る”ことが自分の生活を円滑に進める上で大事だよね、という話。
友達がいる安心や楽しさと、友達がいる煩わしさを天秤にかけてみたときに、わたしの場合は比べるまでもなく友達のいない快適さが自分にとっては最適だったというわけ。
自分の心に正直になってみると、人付き合いにかかわらず生きるのが大分楽になる。
友達がいることがいいってわけじゃない。
友達がいないことがいいってわけでもない。
人によって適量はさまざまなので、誰かにとってはその方がよくても、自分にとって違うなら、もうそれは合っていないんじゃない?
一緒じゃなくていいんじゃない?
ママ友の場合、わが子のお友達のお母さんは、あくまでも“わが子のお友達のお母さん”でしかない。
中にはその垣根を超えて、ママ友から本当の友達になっていく例もあるとは思うけど、それってきっとすごく珍しいことで、本当に大切なご縁だと思う。
もしそんな人に出会えて友達になれる奇跡が起きたら、そのときには流れに身を任せてみるのもありかなとも思う。
反面、やっぱりもう二度と人付き合いにおいて苦しむ日々を送りたくないすっかり臆病になってしまった脳みそが、この先もきっと友達作りにストップをかけるだろう。
たとえ親子でも違う人間なんだから、性格や好みもまるで違うのは当たり前で、たとえ子どもたちが仲良しのお友達でも、必ずしも親同士も仲良くしなくちゃ、なんて思わなくていいと思う。
母親に似ず社交的でお友達たくさんの息子たちを誇りに思いながら、わたしは今後もこの子たちがこの手を離れるまで、きっとママ友を作ることはないだろう。
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