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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月5日】〜測量46日目〜

同五日、朝より七ッ頃迄中晴、その後薄曇、夜五ッ後より中晴。此朝五ッ後鷲木出立。オトシベ村にて中食、オトシベは鷲木より三里という。海辺五里八町七ッ後山越内に着。此詰合湯氏三右衛門殿、御徒目付の御地行支配人伊藤茂左衛門別家甚之丞というものの方に止宿、五ッ後より四ッ頃迄測量。

伊能忠敬の測量日記 一巻 十六ページ

寛政12年6月5日。

朝から午前8時頃までは晴れ間があったけど、
その後は薄曇りとなりました。
夜の午20時以降には再び晴れ間が戻りました。

この朝の午前8時に、
「鷲木村」を出発しました。

道中、「オトシベ村」で昼食を食べました。

1800年の地図
鷲木村→落部(オトシベ村)


オトシベ村は鷲木村から、
3里(約12km)離れています。

さらに海辺を5里8町(約20km)進んだ後、
午後16時に「山越内」(北海道 二海郡八雲町)に到着しました。

1800年の地図
落部(オトシベ)村→山越内(ヤムクシナイ)


ここで、「湯氏三右衛門」殿や、
御徒目付(御用のための巡視を行う役職)である「伊藤茂左衛門」の別宅にいる「甚之丞」という者の家に宿泊した。

伊能忠敬を自宅に泊めた「甚之丞」さん。
(AIでイーロンマスクの顔を混ぜました。)


そして午後20時から午後4時まで測量を行った。

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