盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】
お酒のつまみをプレゼント
「隆高院殿」「貞心院殿」は、
◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!
大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、
一樽の肴(二樽)
一折の肴
をそれぞれ贈呈されました。
◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼントしたと思うよ!
大殿様に感謝
本日、大殿様(南部利幹)の
ご下向に対するお礼の儀を行いました。
侍・寺社関係者・職人・町人なども、
大殿様へ「色々ありがとうございます」とお礼をしました。
以下の人々も大殿様に特別なお礼をした。
新田を拝領したことに対するお礼は、
「松田清左衛門」
◎この人は、大殿様から土地を貰ったよ!
切米や扶持米を下されたことに対するお礼は、
「岩清水半右衛門」
◎この人は、大殿様からお米を貰ったよ!
と記録されています。
扶持米の支給を受けた人々の中には、
「米内万五郎」「四戸才蔵」「柴内与六」
「小枝指清兵衛」「川村弥内」「杉沢庄右衛門」「箱石喜平次」「阿部多蔵」
も含まれています。
◎この人たちも大殿様からお米を貰ったよ!
家柄を守る日本
大殿様に、養子縁組に関するお礼として、
「川嶋杢左衛門」の養子である「庄兵衛」
「大浦治右衛門」の養子である「源内」
「毛馬内権左衛門」の養子である「伊之助」
「佐々木長五郎」の養子である「重次郎」
の4人が登場し、それぞれ
『養子をお命じいただき、誠にありがたく存じます』とお礼を述べ、折り箱の贈り物を奉納した。
◎当時の身分制度では、主君(大殿様)の許しを得て、はじめて正式な養子縁組が認められていました。
献上品
この他に、「伊勢太夫次郎」の名代(代理)として、「中村六郎兵衛」が、熨斗(のし)5把を、熊野の「尾崎坊」から菓子1箱を、「山田勘兵衛」が手綱5筋(馬具)を献上しました。
それらの贈り物に対して、
丁寧にお礼を申し上げました。
雲雀
昨日、「桜庭兵助」が拝領(目上の人からもらった)した鶴を取り飼っていたところ、
その鶴に対する飼育礼として、
雲雀(ひばり)7羽を「右近」が持参した。
そこで、その雲雀を「兵助」に下賜され、
「右近」は持参して宿に戻った。
これについて「兵助」に伝えよとの命令が下された。
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