盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月5日】
※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。
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延宝5年7月5日 晴 当番:七左衛門、兵助
復興工事の影響で、今年から税金を上げます
田名部小沢の内(岩手県)にある
松ヶ崎と新塩釜で、
1件の工事を望む旨の要望がありました。
松ヶ崎と新塩釜は、
田畑・鳥の保護区・鷹の巣がない場所
であると、
代官の「波岡与三右衛門」が
申し上げましたので、
工事の指示が出されました。
今年から本役(主要な仕事)として、
御役金(税金)を上納することとなります。
鷹を調教するひと
鷹匠(鷹狩に使用する鷹を調教する武士)の
「名久井権四郎」
「小立七兵衛」「工藤左伝二」
それに加えて3人の人足(労働者)が、
今朝、江戸から到着しました。
衣類が流された
昨日の大雨により、洪水が発生した件です。
仙北町の「嶋川十兵衛」の報告によると、
同心丁にある家18軒が流され、
そのうち11軒が全壊し、
7軒が一部損壊しました。
また、同心の中で「利右衛門」
という者が1人亡くなりました。
残った同心たちも、
衣服などが流されてしまったため、
御門番(警備役)の免除をお願いしたいと、
「十兵衛」が訴えています。
そのため、
当面の代理として、「横田又右衛門」が
御門番を務めることになりました。