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八乙女楽のおかげアイナナを好きになり、八乙女楽のおかげでアイナナが苦手になり、そしてまた彼のおかげでアイナナが大好きになった話。

 推しアイドルの解散が決まった。

 某国民的アイドルの活動停止に胸を痛めながら、しかしどこか横目で見ていた時だった。なんなんだ、このタイムリーヒット。武道館という栄光の地、夢の場所で彼女達はあのグループでの最後のパフォーマンスを終える。知ったその日はライブ映像を見ながら嗚咽を漏らし、見終わってもふとした時に涙があふれた。彼女達が納得していて、決して『大人の事情に振り回された』訳ではないのを知っていながらただただ、解散の事実がつらかった。

 その時、私の脳裏にはアイドリッシュセブンというアプリゲームの敏腕マネージャー、姉鷺カオルの姿があった。理想のアイドルについて、姉鷺カオルが語った名シーンだ。「終わらないアイドルよ。夢が終わるところなんて見たくないもの。日本一のトップスターじゃなくたって、顔に傷があったって、声が出なくたって、終わらせないでくれたらそれでいいのよ。だけどその夢を叶えるのが一番難しい」

 そう、終わらないアイドルであること、その難しさ、そしてそれを望むエゴ、それに私は打ちのめされた。もうボッコボコに。私は悲しみから復活するために、アイドリッシュセブンにまつわる思い出を書き連ねたいと思う。私のアイドル観、人生観すらぶっ壊していったあのアイドル、八乙女楽への想いも一緒に。

 2015年、夏、リリースが若干遅れたな、とアイドリッシュセブンの公式ホームページを見ながら暇をつぶしていた時だった。当時は趣味で最新のアプリゲーム情報は常時チェックしていたので、アイドリッシュセブンもその一環でチェックしていたにすぎなかった。

 ただ、他のゲームにはない、目を引くポイントがいくつかあった。ひとつ、種村有菜先生がキャラクターデザインだったこと。幼い頃、彼女の描く少女漫画『満月をさがして』が大好きだっただけに、彼女が携わるなら信頼できるな、と奇妙な思いに駆られた。ふたつ、主人公たちの衣装がリアルなぺらぺら感があったこと。他のアプリゲームでは衣装の凝り方が美しく感動する一方、スタートアップのアイドルがこんなすごい衣装を着るのはリアリティがないとも感じていた。それが、アイドリッシュセブンでは信じられないくらい低予算で作られているぺらぺら衣装に見えた。そのリアリティに感動した。みっつ、キャラソンではなく、アイドルソングを作っているように見えたこと。正直、リリース前のゲームの開発の様子、動画や広告宣伝を見るにお金を楽曲に全振りしたん? と思うくらいお粗末な部分が多かったように思う。そのお粗末を凌駕するくらい楽曲がよかった。小学生時代に熱中した某JエンタテインメントのSMA……の楽曲にも匹敵すると率直に思った。

 そして、よっつめ、このゲームには八乙女楽がいた。そうなのだ、八乙女楽がいたのだ。彼らの、TRIGGERの楽曲を聞いた時、某JエンタテインメントのKA……のライブの思い出が走馬灯となって蘇った。彼がいなかったら、アイドリッシュセブンも、ふーん、またアイドルのもののアプリゲームがリリースになったな、くらいにしか思わなかったかもしれない。

 けれども、これだけフックがありながら、実際に私がプレイし始めたのは2015年11月19日(ゲーム内プロフィールによる)というのも、八乙女楽が見た目通りのクールで冷たい、或いは俺様キャラのテンプレだったらどうしよう、という不安があったからだ。しかし秋も深まると、彼のキャラクター性がSNSで共有され始めた。八乙女楽が見た目通りでないと知って、大喜びでダウンロードした。反対に言うと、その時までダウンロードできなかった。また、このタイミングだったのは、フレンドオーディションで八乙女楽が実装されるのを信じてのことだったと思う。(申し訳ない事に当時はお金が本当になかった。ライバルキャラクターのRやSRがフレンドで実装されるのにはリリースから数ヶ月かかるというのが体感で知っていたので、待っていた。実際12月本当に実装されることとなった)そこからは転げ落ちるようにストーリーを貪り読んだ。全く、気になってすらいなかった二階堂大和がオーディションでいっぱい来てくれたので、物凄く気になる存在になったし、八乙女楽は見た目の通りの人格でなく、むしろ暑苦しいキャラだと知る事ができて本当にうれしかった。

 そして、たった数時間で第一部読了。Re:valeって誰よ!? と突っ込みをいれながら、半泣きだった。アイドリッシュセブンとうコンテンツそのものが愛しくなった。このゲームに導いてくれた八乙女楽は私にとって至上の存在ですらあった。アイドリッシュセブン関連の記事やインタビューを読み漁り、クリスマスにはクリスマスオーディションで八乙女楽のカードが手に入らず歯噛みした。年末、BOWのイベントは告知の瞬間から楽しみにしていた。イベント開始からサーバーが落ちて、復旧に時間が必要だったのもいい思い出だ。イベントそのものは12月末終了予定だったが、1月までずれ込んだ。紅白歌合戦を見ながら、必死でプレイした、手に入れたSRのトリガーのカードは初めてゲームで頑張った報酬以上にきらきら輝いていた。1月の野外フェスでのアラビアンに心奪われ、ランキング報酬だった顔に落書きされたキュートな八乙女楽の為に必死になった。八乙女楽はいままで私の持っていたアイドル観では計り知れない存在だった。言いたいことは言う。弱みを見せない。それでいてどこかお茶目でめちゃくちゃに面白い。一本筋が通り過ぎて夢見がちでロマンチストで、世間の常識に照らし合わせるとものすごくブレて見える。普通のアイドルが言えないようなこと、思ってても口にしないことを言って許される、そんな稀な存在に見えた。

 第二部では誰よRe:valeって、となっていた不思議な先輩が登場、その楽曲の某JのKin…とかタッ…&…との親和性に泣いたし、シャッフルユニットでは、クールで売っている彼が似合わない祭りに編成され、そのおちゃめさをいかんなく発揮した。そして、そこで出てくる、あの言葉「100人に愛されるおまえじゃなくて、おまえに愛されるおまえになれ」あまりにもかっこよかった。望んでアイドルになったわけでもないはずなのに、どうしてそんな覚悟を決められるのか、仕事で行き詰まっていた私には彼が眩しくて仕方がなかった。どんな苦しいことも彼なら耐えられると思って耐えた。どんなことでも彼なら文句は言わないと言い聞かせた。自分の環境を飲み込み、その中で自分を確立する八乙女楽にが輝いて見えた。私は八乙女楽になりたかった。彼のように私も私を一生懸命に生きたかった。彼の高潔な精神に憧れた。思えば、これが危険信号だったのかもしれない。

 第三部の更新がやってきた。その頃にはものすごく好きになっていた二階堂大和の話に更新直前から体調を崩し、トイレで蹲りながら紫色に変色した爪を眺めていたり、アイドリッシュセブンに生活が脅かされる日々がはじまった。それでも最高に楽しかった。三部でも八乙女楽の率直さ、依存関係を理解しない健やかさは健在だった。普通なら鼻につく言動も彼が言えば、自ずと説得力を持った。TRIGGERのスピンオフ小説でも書かれていた通り、周りの人々は彼に目を奪われて疲れを忘れたように生き生きと瞳を輝かせるのだ。本気でそう思っていた。でもその時はやって来た。アイドリッシュセブンを苦手だと思うその時が。それは、TRIGGERが貶められる場面。某女性シンガーの行いとツクモの計略によって十龍之介が非難を浴びることになる。

 この時の八乙女楽の言動が、いや、それ以前に目を瞑っていた彼の古めかしいジェンダー認識が噴出したように、私には見えた。書くのもつらいので、記載はしないし、気にならなかった人は多かったと思う。それでもどうしても私には八乙女楽の言葉が受け入れ難かったし、酷く動揺した。龍之介は怒っていなかった。ナギからのフォローもあった。それでも私はこの瞬間、モモちゃんの言葉を忘れた。「ファンが増えれば増えるほど好きの種類が無限に増えていく。でも全部の期待には応えられない。それが彼らを苦しめる。アイドルは人を幸せにして、愛されるのが好きな奴らだから。期待があるから不満が生まれて、好きがあるから嫌いが生まれる」胸に刻もうと誓っていたのに、私は守れなかった。

 結果、三部完結から約1年半、ストーリーを見ないようにしていた。再び、八乙女楽のそういった部分に触れるのが嫌だったし、運営にはびこるミソジミーを勝手に感じ取って落ち込んだり怒ったりするのもつらかった。(実際、どういう意思決定であの3部のシナリオ運びになったのか私はもちろん知らない。脚本家さんが蔑視をしていたとも思えないので、私がナイーブになりすぎていた自覚はあったが、それでも)当然、その間に更新されたサイドストーリーもZOOLの物語も、記念ストーリーも読んでいなかった。アイドリッシュセブンVibratoも Second BEAT!の情報さえ、遮断した。

 唯一参加したのが、2ndライブREUNIONだった。ご厚意に甘えて現地で観覧する幸福にありつけた。小雨で背中を濡らしながらその空気、彼らのプロ意識、そして誠意、そのすべてを感じながら迎えたTRIGGERの新曲「Crescent rise」4部を読んでいない私にはなんのことか全く分からなかった。それでも感動した。彼らがこれを歌うに至った経緯が知りたかった。帰ったら絶対ストーリーを読むんだと泣きながら意気込んだ。でも読めなかった。どうしてもストーリーをタップできなかった。八乙女楽をアイドリッシュセブンを苦手になるのが嫌だった。もし、を考え始めると動けなかった。私は読むのを諦めた。

 それから1年近く経過、2020年6月、友人の誘いでライブDVD、REUNIONを見ることになった。1日目の映像、曇り空に満点の星空を作るように熱気あふれる会場。登場したアイドル達。涙は出ない。元気いっぱいのアイドリッシュセブンのみんな、王者の風格、反逆者、至高のダイアモンド。それらがきらきらと全く違う輝きを帯びて迫ってきた。その光景に信じられないくらい揺さぶられた。たったひとりで、歌う十龍之介、そして3人で歌うTRIGGERの姿。煌びやかな衣装を纏い、歌う、八乙女楽の「Crescent rise」私は唐突に思い出した。私は八乙女楽が大好きだった。そしていまも大好きなのだと。友達の家の手前、泣くことは無かった。それでも鼻の奥が痛くてたまらなかった。

 茫然としながらも、帰りの電車でゲームを起動させ、ストーリーのボタンを押した。指先はまだ震えていた。4部、サイドストーリーや読んでいない特別ストーリー、そして、苦しみながら3部、周年記念ストーリーを読み返した。4部の八乙女楽は確かに傷付いて、それでも前を向いていた。彼はやっぱり強くてかっこよくて、我慢強い最高のアイドルだった。読み返した3部、彼は龍之介を貶めたのが、誰であれああして怒ったのだろう、それは女とか男じゃなくて、きっと仲間を傷つけた相手に対する明確な怒りだった。きっと彼はあの女性シンガーをいまでも許していないだろう。4部でもZOOLを許さなかった。それが、彼なりの誠意だったと初めて分かった。嗚咽が漏れた。私が離れている間にも八乙女楽はどんどん進んでどんどんかっこよく、無様で、最高のアイドルになっていた。

 私はあの子と一緒だった、特別ストーリーでレストランを占拠して不満をまき散らしたあの女の子。あれは私だった。私は八乙女楽が大好きで、アイドリッシュセブンが大好きだった。彼に関して、苦手だな、と思うところがあってもそれを隠す必要はなかった。苦手な部分も彼を八乙女楽たらしめる一部だったのだ。それを愛せないことは咎ではない。苦手な部分があるうえで、それでも八乙女楽が好きだと言えばよかったんだ。ストーリーを読みながら画面が滲むのを止めることができなかった。

八乙女楽が愛したTRIGGERを、可愛がっているアイドリッシュセブンを、尊敬する先輩Re:valeを、傍迷惑なでも盟友になれるかもしれないZOOLを、彼のファンを彼を取り巻くすべてを私はもう一度大好きになった。

 そうして、7月、私は思いの丈をぶちまけている。八乙女楽にしたら迷惑極まりないだろうな、と思いつつ、どうか許してほしいと願っている。大好きだったアイドルの終わりを眼の前にして、TRIGGERは「終わらないアイドル」でいてくれと自分勝手に祈っている。でももし、彼らの終わりが私の推しアイドルのようにやって来たとしても、それを受け入れ、愛したいとも思った。彼らの選択、彼らの思い、それを全部知ることは出来ない。それでも私は、私なりに彼、八乙女楽を大好きだと言いたいし、終わらないで欲しいと思いつつ、疲れたなら休んでほしいとも思う。どんな姿であれ、どんな性格であれ、どんなパフォーマンスであれ、好だった事実は覆せない。それでいいのだと思う。

 支離滅裂な文章で申し訳ない。でも最後にひとこと言わせてほしい。ありがとう。八乙女楽。あなたがいたから私は素晴らしいアイドリッシュセブンというゲームの目撃者になれた。本当にありがとう。これからもあなたのままでいてください。

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