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新年を迎えて

あまり年末年始感がないまま2021年に突入した。休暇が短く、また普段以上にテレビで年末年始の特別番組を見ていないこともある。ただ一番は昨年から続いているあのウイルスが原因だと思う。こんなにも長く続くとは思わず、むしろ拡大が大きく広がっている。それでも東京近辺では何事もないかのように街は動いている。マスクをし手洗いうがいをしマメにアルコール消毒を行う以外自分を守ることはできないのだろう。

2021年の干支が出てこない。年賀状を作る習慣をなくしてしまったからだろうか。そもそも今年和暦で何年だっけというところから出てこない。

令和3年

「3年」。この間「令和」という年号に変わったばかりではというくらい時の進みが早すぎて心がついていけない。

年賀状。本当にいいわけでしかないが、年内に書くことができずいつも頂いたものに対してお返事を書いている状況で送っていただいた方には大変申し訳なく思っている。今朝、年賀状が届き印刷をしようとしたところ、プリンターが印字しないというハプニング。このプリンターを前回使ったのが一年前の年賀状ではないかというくらい自宅では印刷をしないため調子悪いことに気が付かなかった。ノズルクリーニングし新しいインクに変えてもダメなので諦め、あわてて自宅近くの家電量販店に車を走らせ急遽プリンタを購入した。最近のプリンターは設定がとても楽なため設置してから10分ほどで使えるようになった。

2021年はこんなハプニングから始まった。

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私はあまり前年を振り返ることはない。振り返っても過去は変わらないなんて思っているわけではない。振り返ると反省するべきことが多く落ち込んでしまうからである。けれど私にとって2020年は色々な意味で動いた年だった。だから今年を考える上で少し振り返ろうと思う。

2020年の抱負として「ゆるゆると生きる」を挙げていたが、正直ゆるゆると生きていなかったと思う。ゆるゆると生きるためには裏では必死に頑張らなくてはいけないという本末転倒であることを悟った。必死にがんばることが嫌なわけではない。たぶんどんなに抱負としてあげても適当に行うということができないからがんばってしまうだろう。ただがんばり方を間違えると困らせてしまうことがあることを教えられた。

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昨年「新年をむかえて」という記事を投稿した。

少し自分の感情に素直になろうと思う。過去には素直になりすぎて壊れたこともあったけれどあの頃は生きているという実感があった。めっきり大人になりすぎたような気がしている。もう少しバカになってもいいかなと思う。泣きたいときには泣く。笑いたいときは笑う。支えてもらいたいときには助けを呼ぶ。

素直になるということは自分をさらけ出すことでもあり、それほど簡単ではない。自分ひとりの力で努力するということは結局素直とは逆方向に向かってしまう。。

2020年は私を引き出してもらったと思う。

「素直になる」というのは「素直になれる」ことであり引き出してもらうものではないかと思う。「素直になる」というミッションを達成することすら自分ひとりではできないものと改めて思った。それに気がついたことが一歩素直に近づけたのではないかと思う。

2021年はどんな年になるのかはわからない。結局は、ただ「自分の思いという流れ」に逆らわずにいくだけなのだろうと思う。

だから、今年は抱負を掲げない。

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2021.1.1
あらしろひなこ