嫌いな人の心の中を覗くという体験
この記事について
私の記念すべき初めての記事であるが、なんだか暗い内容の題になってしまった。けれど自分にとってこうやって文字に起こすことは、自分の感情と向き合う上でとても大切なことなので大目に見て欲しい。
最近「嫌いな人の心の中を覗く」という経験をしてなんとも言えぬ気持ちになった。そのことについて書き残しておきたい。
同じような経験をした人や嫌いな人への接し方について悩んでいる人、題に興味を持ってくれた人へ。
私の嫌いな人
私の嫌いな人は肉親である。更に掘り下げていうならば「姉」である。
私から見たその人は
・外っつらはいいけれど人の気持ちを考えられない
・自分のために人を蹴落とす
・噂話が好き
・マザコン
そんな人だ。
ひどい言い様であるし、過去の記憶がそう見せている面もあるのかもしれない。だが簡単に過去は消せないので仕方がない。
どのような経緯で「嫌い」と言い切るまでになってしまったのかはこの記事では触れない。簡略に述べるならば幼少期からの「暴言」。何度も助けを求めたがそれを傍観した「家庭環境」も私のマイナスな気持ちが生まれるのを助長した。「ああ、誰も助けてくれないのか。全員敵に見える。」
私は家庭のみならず社会に対してもそう思うようになってしまった。
暗いことばかりを書いて申し訳ない。
人のせいにしても仕方がないと言うのは痛いほど分かっている。
けれど・・・
「姉がいなかったら私はどんな人生を歩めたのだろう」
幾度となくそう考えてしまう。
私にとっての「嫌いな人」はそういう「人」なのだ。
ある程度大人になってからは、お互い何事もなかったかのように過ごしている。
嫌いな人の日記を覗く
上記で私の「嫌いな人」について軽く、私にとっては本当に軽く書いてみた。
先日その人の「日記」を読む機会があった。
現在、私もその人も実家に住み着いているので、(このような表現をするのは、それが良くないと思うからである。)部屋には自由に出入りできる。
何となく用がある時に他人の部屋に入る。それは私の家では普通のことであった。そして私は「こっそり」その人の日記を読んだ。
この行為は、非難されるべきなのかもしれない。
そこに書き連ねてあったのは日常でも何でもなく、その人の「負の感情」であった。
「消えた方がいいのかな」
その言葉が目に焼き付いている。
私から見ればその人は海外の大学院まで出ていて教養もあり、
現在もしっかりと働いている。消えたい?なぜそんなことを想うのか。
その時の私の汚い心を書き表すならば、こうだ。
「嫌いな人のこんな部分は見たくない。私を罵倒してきたことや環境が正当化されてしまうようだ。」
日記から見てとれたのはその人の異常な承認欲求と依存であった。
「認められたい、がっかりされたくない。恥ずかしい存在になりたくない。」
承認欲求が強くそれを阻む者に対して異常にキツく当たってしまう性格は幼少期から見受けられたが、その性格が今もなお続いていたのだ。きっと敵意の対象は私から社会へと変わっていったのだろう。
この人は、死ぬまで誰かと闘い続けるのだろうか。
身内に愛されたいがために。
そう思うと同情してしまう気持ちと、その人を許せない気持ちがごちゃ混ぜになってなぜだか泣けてしまった。
人は皆どうにかして自分を正当化しようとする
「自分」とは生きてきた年数分の重みがあると私は思う。
だから何とか正当化するのだろう。
自分がした何らかの行為が人を傷つけたとして、それが悪いことだと分かっていたとしても。自分を守るためにまず、環境や、その時の状況、相手に非を探す。「〜だし仕方がなかった」「〜だからいいよね」そう心で呟く。
私自身もそう考えてしまうことがある。
でも最近はこう思う。
「正当化するために、人を傷つけることは許されない。」
私の家族は皆自分を正当化しようと必死だった。
その結果もう、バラバラなのである。
「正当化するために、人を傷つけることは許されない。」
自分の歴史の重みを取っ払い、客観的に物事を見るというのは本当に大切なことだ。
嫌いな人とどう向き合うのか
皆さんにも嫌いな人の一人や二人はいるだろう。
友人であれば関係を絶つのも手であるし、職場の人であれば完全に断ち切ることは難しい。家族の場合も同様に難しい。
つらつらと言葉を綴ってきたが、嫌いなものは嫌いなのだ。
その人だって辛いことがある?そんなことは分かっている。
ではどう向き合えばいいのか。
私の答えは、
「結局のところ自分が強くなるしかない。」
自分が強くなった上でその人と一線を引くこと。
夢も希望もないような答えである。
強くなるというのは具体的に言うと、
・「その人」への期待を一切捨てること。
・「その人」への怨恨を手放すこと。
怨恨について言えば、私のように「あの人がいなければ自分の人生はもっと・・・」そんな風に考えるのは本当に不健康なことなのだ。
私はずっと嫌いな人を恨んできた。過去が作り出した現在があまりに生きづらかったから。でも恨んでいるうちに、本来なりたかった自分からは遠ざかってしまったように思う。
人間みな、過去を抱えて生きている。
その時その時の判断や行動が互いに影響しあって今がある。
恨んだ年月が長ければ長いほど、手放すのは難しくなり自分の元に影が落ちる。
許す必要はない。怨恨を手放し「他人」なのだと線を引く強さを持つこと。
人を恨み、その人の不幸を願う自分はきっと美しくないから。
おわりに
本当に長々と自分の書きたいことを書いてしまいました。
どうしても許せない人がいる方に届いたら良いなと思いました。
あなたの過去を、あなたが包んであげれますように。
読んでくださりありがとうございました。
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