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私がWEBライターになった理由

2020年9月からWEBライターになった。
その理由や軌跡について。

コロナで外出制限がかけられた

2020年3月、子供たちが通う幼稚園を含めインドネシア全域で学校が閉鎖された。
子供達は幼稚園児でもオンライン授業へ。
慣れないコンピュータを使ったオンライン授業は先生、子供たちそして私たち親も毎日奮闘した。

先生の声が途切れる、全員が話し出すとカオス状態。
二人の子供がいる私は、デスクトップとノートパソコンを1台ずつ子供に使わせ、横でサポートした。

はじめは、ふたりとも若干の緊張もあってか?座って授業を聞いていた。
ところが慣れてくると、席を立ったり集中力が途切れるようになった。
そんなふたりを見て、私もイライラがつのる。

子供達のマイクがオンなのを忘れて(というかイライラで気がまわらず)、𠮟りつけてしまって多分他の家庭にまで私の怒鳴り声が響いただろう…。
カメラがオンだと知らず、家着にボサボサヘアーのまま子供にPC操作を教えて、そんな姿が先生にも丸見えだったこともあった。

理由① やりがいを見つけたかった

実は子育てが落ち着いたら働きたかった。
暮らすためのお金というよりも、自分の欲しいものや好きなことに旦那のお金を使うのが何となく嫌だった。
専業主婦になり、終わりと評価のない子育てから自分の達成感たるものが感じられなかった。

でもコロナ働くことはおろか、自宅で24時間365日子供たちと一緒の生活にストレスを感じ「自分のやりがいと達成感のあることをはじめよう」と思った。そして、ウェブライターへ。

ライターが簡単にお金が稼げる仕事ではないことは分かっていた。
何故なら子供がまだ1歳頃に挑戦し挫折したから。
あの頃は乳飲み子ふたりを抱えて、海外で子育てをすることに精一杯。
でもカナダで生き生きと働いていた頃のように、働きたかった。
在宅でできるウェブライターをやってみたが数ヶ月で挫折。

だから今回は決めていた。絶対に絶対に半年は続けると。
有料でオンラインの勉強会に参加したり、本を買って必死に勉強。
日中は子供たちの面倒やオンライン授業があり、執筆はほぼできず深夜に書くことも多い。

理由② 日本に自由に帰省したい

両親が70代になった。毎年会うたびに老けたなぁと感じる。

幸い弟夫婦が両親と同居しているので、親の介護の心配は若干は軽減されている。しかし、二人の介護を弟に丸投げはできない。

できることならなるべく両親の近くで介護してあげたいが、私にも家族がある。でも必要な時に費用や滞在期間のことを考えずに飛んでいける状況でありたい。

そんな将来のことも考えると、フリーランスライターなら場所や選ばずできる。

理由③ 続けてきたら楽しくなってきた

有難いことにクライアント様からは継続で依頼を頂くことが多い。
温かいフィードバックを頂いたり、わざわざ有益な情報を知らせてくれてライターとして成長させてくださる方もいる。本当にありがたい。

ライターとしてはまだまだ駆け出しで、今も勉強中である。
まだまだ分からないこともあるが、勉強は楽しい。
そしてこうやってNoteを書いてみて、「書くことは楽しい」という気持ちが込み上げてくる。

キラキラしたことを発信できるタイプではないけど、これからも自分の想いや経験を誰かに届けていけたらと思う。

コツコツ、コツコツと。

お仕事については、ポートフォリオ記事をご覧ください。