鑑賞記003 陶芸・彫刻を考えるきっかけ:1「信楽に撒かれた種」展  KaikaiKiki Gallery

キュレーター村上隆の意図はあろうが、ともかく僕は自分が味わった事について書こうと思う。


入ってすぐ左、桑田卓郎の作品がいきなり圧倒する。鮮やかな赤の顔料が黒い地の上に「草間彌生のオマージュか」と思えるほど乗っているのだが、これが悉く良い線を作り出しているのだ。合わせれば千を越えるだろう赤の造形が全て「良さ」を備えている等というのは尋常ではない(お値段も納得だ)。金、銀を用いたものもあり、「どかっ」と固まった金のあるものも見事なのだが、やはり赤のものが圧倒である。

そこから右に、大谷工作室のゆるい印象の作品群。立体の全面に「ゆるさ」を醸し出すのはやはり並ではなく、ぐるっと見回して形が一定でないにも拘わらず印象がほぼ一定となる造形は、変化しながらも変化しないという妙味を感じさせる。

奥に奈良美智のもの。展示のキーになる人物ではあるがケースに収まっている作品はやはりやや印象が鮮烈さを欠く。とは言え、何処から見ても線、面の「良さ」があり、しかし大きく輪郭や造形が変化するのではない、全体的に均質に近い造形にまとまっている作品が多い事が分かる(流石に「にわとり」{カタカナだったか?}は別だったか)。

右に回って上田勇児のもの。割れ、潰れ、垂れ、剥がれ等、夥しいというか、何かしら過剰な印象。だがそのエネルギーがとても魅力的だ。色、形の出来映えは本当に計算しているのかいないのか分からないが、整えない事を整えるような技巧を感じる。


畳の側。大谷工作室の自画像は、この展示で唯一「オーラ」を感じた。というのも(これは所謂「アウラ」とは異なるものと僕は考えているのだが)念がこもっているというか、自画像だけあって他の作品とは違って「似せなければ」とか「自分とは何か」といったものが迫力となって感じられ、作品の造形そのもの以上にまずそこに込められた魂を感じ取ってからでないと、何を言うにも礼に反するのではないか、と思わせるものがあったからだ。

お陰でそのエネルギーに押されて、作品の印象はあまり覚えていない。

奈良のすっきりとした立体、桑田の赤い顔料もやはり圧倒するが、桑田のエポキシ樹脂を含めて剥がれたもの、金属を混ぜて割れ、剥がれ落ちかかったもの等も強い印象がある。


縁の線や器の面の持つ「良さ」が新しい仕方で生み出され始めているのか。個人としては上田の割れや潰れ、表面の仕上がりの「良さ」の方面に、鑑賞者としての課題を見出してみたい。




陶芸・彫刻を考えるきっかけ:1「信楽に撒かれた種」公式 (2017年4月12日現在トップページ)




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比那北幸@批評
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