『ニンジャスレイヤー』(2015年12月頃~2016年1月頃) ステルスリアクション・エクストラ069
(ステルスリアクションとは、見えないリアクションである。表向き別の事を表現しているように見せながら、同時に、特定の何かに対するリアクションとしても意図された、そのような表現方法なのだ)
前回はこちら。
『ニンジャスレイヤー』の前回はこちら。
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円形、木、椅子(「大」「木」を含む)、死体。日の丸、天皇制(神道)、敗戦の寓意。歴史寓話で用いられるモチーフ群。
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前回の「視覚的な異物感」参照。翻訳チームにとって予測不可能だったかもしれないが、僕のプランと異なるお膳立てをされても僕は僕でやるしかないのだ。
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移動中に敵と戦うニンジャゴルフと、途中からジャンルが違う映画になる『フロム・ダスク・ティル・ドーン』と『マチェーテ・キルズ』が元ネタか。
特に『マチェーテ・キルズ』は途中からSFになるので適合するかと。
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・「普通の言葉で客観的に紹介する」「様々な読者のニーズを想定し、様々な視点で記事を書く」
「魔法の力」、「歴史寓話を鑑賞していかに歴史寓話と知るか プロット(・キャラクター)篇」では専門用語(ジャーゴン)の使用を避け、特に後者では歴史寓話の存在を知らない層と知っていて使いこなしている層に対して異なるアプローチになるようにしている(序盤は初級者用、中盤以降は上級者用という具合に)。歴史寓話は現在まで明瞭な議論がほとんどなく、確固たる先行文献が見当たらないのだが決して全く知られていないという事でもなく(恐らく日本で10万人以上は知っているだろう)、そのような状況にも関わらず作品数は膨大で(各メディア・ジャンル総計で数万~100万程度のオーダーで存在するのではないかと僕は見込んでいる)、普及・広範化が進んでいながらその理解度に関してもはや幅や落差では済まされない断絶が存在するという一種異様な状況にある。
そんな中、僕が歴史寓話について言明する理由としては、「書き記さなければ失われる内容があるかもしれない(少なくとも初期の当事者のオーラルヒストリーは取り損なった)」、「70年近い歴史がありながら論(迂遠な論調の文献はいくつか確認している)の蓄積が整頓されておらず、後継の遡及が困難である(ジャンル史や作品・作者論も同様)」など他にもあるが、現在歴史寓話について言明しつつある宇野常寛や黒瀬陽平は一体どのようにその行為を理由づけするつもりなのだろうか。どうやら彼らは今特に使える新しいものがないが為に歴史寓話に飛び付いてるように思えるのだが……(そもそも彼らが「これまで歴史寓話が言明されなかった理由」や「それを敢えて今明瞭にする意味」を考えなければいけないということに気付いていないようにも見えるのだが)。
以前「3331 Art Fair 2014 -Various Collectors Prizes-」にて総勢90組以上の参加アーティストの内、僕の観たところ2/3程度は寓意によって歴史と作品を繋ぐ事に自覚的だったので、カオスラウンジはようやく若手アーティスト内でも多数派側に仲間入りできた、という程度の事でしかないし(そうはいっても黒瀬が311当時に歴史寓話に無知だった事はここで確認済みだが)、宇野は歴史寓話を何か少数の特殊なものだと思っている様子で、それを指摘する事が何かを論じた事になるかのように活動しているが、実際には歴史寓話は膨大な規模で展開している(ジャンル横断的にさえ見える)一大ジャンルであって、石を投げれば歴史寓話に当たるような状況下で「それが歴史寓話である」と指摘したところでほぼ何も言っていないに等しい。つまるところ、宇野・黒瀬の両者は歴史寓話論者として極めて粗雑で低劣、状況に適合した論を構築する事が出来ないだけでなく、そもそもが自らの観察と分析によってでない論をどこからか持ち出して振りかざす内実の空虚な存在なのだろう(無論、やらかしたからには始末はつけてもらうが)。
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残像。スパイラル・ホールで行われた渋谷慶一郎のコンサートの感想ツイートから(あるいはまったく無関係かもしれないが)。
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・削ぎ落し
・ソリッド
・スピード
・冗長な言い回しを削る
「Twitter140字制限撤廃の噂? その時ニンジャスレイヤー連載はどう変化するのか」より。僕は上述の「魔法の力」や「プロット(・キャラクター)篇」においてそれなりに無駄の少なさを重視しているのだが……。
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・酩酊
・魔法のように
「2015年度エピソード投票結果発表&原作者コメンタリーまとめ:第4部の展望とは?」より。「ザ・ドランクン・アンド・ストレイド」のコメンタリーだが、「手塚マンガの風刺性を検証する――『地底国の怪人』の場合――」と
「魔法の力」(上述)からの引用と思われる。
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・アザゼルの山羊
・寓話
「デッド・バレット・アレステッド・ブッダ」のコメンタリーから。『ARMS』には「アザゼル」というキーになる存在がおり、歴史寓話でもある(異物と共生しなければならない、という構造は1つの類型として分類できる)。
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・酩酊したサラリマン仲間かと思って
・酒が入っていたせいかもしれないね
・酒に酔って
上記した『地底国』に関する論文に「酒」についての記述がある。
また「映画でいうならば第1部は70〜80年代、第2部は90年代、第3部はゼロ年代のエンタテインメントのアトモスフィアや解像度を意図的に再現している」という。映画から影響を受ける事は小説家であれば格別珍しい事でもないが、「映画ネタへの反応」という点で見ると(これまでのSREでも見られたように)これもまたステルスリアクションと取れなくもないのではなかろうか。
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・完全なる
一種のニンジャスレイー名物とも言える文字列がビジュアライズされためでたさの表現が引用された形だろうか。
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・魔法めいた
「魔法」。しかしながら、「幸」の字同様「魔法」も使用頻度の高いものなのでにわかに判断し辛いシチュエーションもある。
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・ベトコン
・連合国側
「バイオ研究員から脱サラした、妄想持ちの危険ニンジャ:フォレスト・サワタリ(01)」より。重合性を伴う表現が率直な形で表れている為寓意と呼ぶにはやや露骨過ぎる(表現の仕方と意味のズレが少な過ぎる)が、作品と歴史を結び付ける構成としては確かなものだと言えるだろう。
歴史寓話はこのような「表現の仕方が表現される内容と近すぎるケース」を「表現の仕方と表現される内容とか十分に隔たっているケース」と区別し、それぞれについて精密に読解するアプローチが必要であろう(つまりストレートに「これは震災と原発事故のメタファー」と呼べるものとはまた別の、分かりにくいケースについても扱わなくてはならないのだが、宇野や黒瀬にそれをやるだけの分析力や理解力があるだろうか{僕には彼らが寓意の重合性すら満足に扱えないように見えるのだが})。
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・希釈限界濃度
「サイバーパンクって何?:ニンジャスレイヤー読者向けの入門用映画3選」より。2回使われている。恐らく「飽和」に対応すると思われるのだが、「希釈限界濃度」というのは「(検出限界)ギリギリまで薄めた」という意味になるのではないだろうか……。
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・魔法
上述のイシカワより早い。このように反復する事が1つ指標として機能する事を期待しての使用だろうか。
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・本物と偽物の区別
坂上秋成もまた必ず始末はつけるつもりの相手ではあるものの、既に多くの証拠を押さえており僕が立場さえ築いてしまえば特に難しい事はないのでさして労力を払う必要を感じない。
とまれやらかした相手は全員、成果を出す仕事の片手間に収まる範囲のリソースで始末がつくまで継続的に追及する所存。
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「テスタメント」は聖書を示す。それに対応して「地獄」「悪魔」などが用いられた。ちなみにこの6連投は、自分のツイートに返信することで青いラインでツイートをつないで表示させる方法のテストであった(「てすと」を捻って「てすためんと」にした事も使用の契機であったかもしれぬ)。
(続く)
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