勉強不足は恥
少し刺激の強いタイトルにしてしまいました。
誤解のないよう最初に述べておきますが、「勉強時間が足りないことが恥ずかしい。」と言うことではありません。
「勉強をしていないのにそれを知っているかのように振る舞うことや、勉強をしていないのに評論することこそ恥ずかしい。」と言いたいのです。
例えば「地球平面説」ですが、古代では殆どの人が信じて疑わないことでした。ところが真実は「回転楕円体(土木専門なのでこう呼ばせてください笑笑)」です。
ここで多くの人間が陥りやすいのは、「多数派が正しい。」と言う考えです。裏を返すと「少数派は間違っている。」となります。危険極まりない考え方です。
しかし一方、世の中の事象のすべてを検証することも不可能です。
ではどうすれば良いのでしょうか。
以下の3点が大切と考えます。
1 「分からないこと」「知らないこと」「興味のないこと」は素直にオープンにする。
「え?なんで知らないの?みんな知っているのに〜。」と言われるのが怖くて知った振りをする。または、興味のある振りをする。
結果、ストレスが溜まるだけですよね。
私はサッカーに全く興味がありません。
ですから先日開催されたワールドカップも全く見ません。
何か問題がありますか?
「みんなが見ている」「みんなが言っている」本当ですか?
みんなって誰ですかね?
申し添えますが、「サッカー」や「サッカーが好きな人」を否定するつもりは毛頭ありません。
2 「分からないこと」「知らないこと」「興味のないこと」を否定しない。
多数決の考え方で陥る最も危険で恥ずかしいことです。
私は弓道をしていますが、大多数の方々がやられている全日本弓道連盟流ではなく、日置流印西派です。
人数こそ少数ですが、実に理にかなった射法だと実践して分かったので続けています。もちろん過去には全日本弓道連盟流も経験しています。
多数であることに根拠のない自信を持ち、日置流印西派を否定してくる方がいます。
「やったこともない、勉強したこともないことをなぜ否定できるのか。」いつも疑問に思います。
きっと多数派の後ろ盾がないと何も出来ない輩なのでしょう。
まさに、「恥」そのものです。
3 「分からないこと」「知らないこと」「興味のあること」を調べようと勉強する。
否定するなら勉強してから行うべきです。
興味のないことは評論しないことです。
多数派が主張していることであっても、自身でしっかり調べることです。
最後に、「恥」をかかないために勉強するのではなく、「眼力」を高めるために勉強をしましょう!