時計じかけのオレンジと入江先生
時計じかけのオレンジの話をしたことで編集の時にいろいろと考えたことがありますのでそれを少し書き出したいと思います。
ですが本題の前に、映画の詳細を知らない方にも私の言いたいことが伝わるように少し補足します。
~あらすじ~
近未来のロンドン。〈強姦と超暴力とベートーベン〉だけに生きがいを求めるアレックスは、仲間たちと共に暴力とセックスに明け暮れる日々を送っていた。そんな中、彼はある殺人事件をきっかけに逮捕されてしまい、残忍な人格を矯正するという名目の奇妙な治療法の被験者となる。
ロボトミー手術でこの映画を連想して話に出したのですが、実はこの作品にロボトミー手術は登場しません。
薬物投与と催眠療法を合わせたような方法の”ルドヴィコ療法”で人格矯正するのですが、ロボトミー手術の暗喩なのかなと私は感じています。
このような内容であることを踏まえて。
作中で印象的なシーンがあります。
アレックスが酷い暴力を振るいながら「雨に唄えば」を歌うシーンです。
実際のところは監督が俳優にこのシーンで何か歌を歌うように指示したところ、歌えるのがこの曲しかなかったということのようですがメッセージ性を感じるシーンになりました。
映画「雨に唄えば」で「辛い雨の時こそ気持ちを明るく持って歌って乗り切ろう!」的な、人生を前向きにとらえて歌われた曲。
お前が歌うんかい!ですよ。
これは挑発的。
光の頂点のような歌と闇のド底辺のような人間の対比。
最初は「相手がこんなやつの場合は前向きに考えてるだけじゃ何も変わらないよ」っていうキューブリック監督の皮肉たっぷりのメッセージかと思ったもん。
実際、いくらポジティブに考えたところでどうにも好転出来ないことってある。
真面目に生きていても事故には遭う。
その事故をどう防ぐかが重要。
ルドヴィコ療法(またはロボトミー手術)はもらい事故を防ぐ方法の内のひとつ。
犯罪者の人権と被害者の人権や命を天秤にかけた場合、現実では犯罪者の方に傾いているように感じる。
一度でも他人の人権を踏みにじった人間は自分の人権もないがしろにされても仕方ないように思うのだけどどうしてだろう。
過去が犯罪者にとって非道すぎたのかな。
塩梅が難しいのかな。
この犯罪者の人権と被害者の人権を考えた時、入江先生は後者の方が重いと考えて研究していたのですよね。
善人だからこそ、正義だと信じて全力で。
なのに途中でハシゴを外された入江先生は気の毒です。
どうしようもない人というのは存在するので、再教育が難しい場合はやっぱりロボトミー手術は必要悪なのではないかなとどうしても思ってしまいます。
なので私個人としては、入江先生の研究や考え方自体を100%否定はできないです。
でもそれと同時に「それが正義だから!」という入江先生のまっすぐさには少し怖さを感じます。
自分に正義があると感じているときほど人は相手に対して強くなり、耳を傾けにくい状態になりやすいからです。
そういう意味では入江先生もだいぶやばい状態だったのではないかなと思います。
「自分は正しいことをしていたのになぜこんなに理不尽な状態に追いやられないといけないのだ」と感じていそうだし、そういう精神状態だといつか造反しそうなので雛見沢症候群の研究をしていなかったとしても社会にあだなす存在になっていたかも知れません。
これから先、鷹野さんだけではなく入江先生も壊れていくのかな…。
どういう経緯で睡眠薬エンドになるのかとても気になります。
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