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モハマヤバートの名前の由来

2度目のインドで行ったダラムサラ。

ダラムサラインドヒマーチャル・プラデーシュ州の一角にある
チベット亡命社会の中心地。亡命チベット人の多数が暮らす「マックロード・ガンジ(McLeod Ganj)」地区と、チベット亡命政府の官庁がたちならぶ「カンチェン・キション(Gangchen Kyishong)」地区からなる。

Wikipedia

たくさんの亡命したチベット人が住むダラムサラ。

彼らは3ヶ月近くもの時間をかけて
中国からヒマラヤを超えて生き残った人たち。

インドに行くようになって、
日本で出会うことのないストリートチルドレン
バクシーシを当たり前のようにせがんで来る人々

バクシーシとは低・中所得者層が富裕層に要求する金品のことである。 チップとは異なり、バクシーシは余裕ある者が貧しい者に金品を与えることで得られる徳とされている。 貧しい者は逆にもらうことで間接的に功徳に貢献できる。 「ありがたくいただく」というより「当然もらってあげる」という感覚に近い。

貧しかったり、カーストから抜け出せない
どうしようもない苦しさをたくさん目の当たりにした。

こんなにも自分の人生を自由に選べる日本人の私には
ショックな出会いが多かったけど

ダラムサラで出会った同世代の子や
もっと若い子たちが、
想像を絶する険しいヒマラヤを、
数ヶ月かけて命懸けで国境越えをし、
今目の前でケラケラと笑っている逞しさに
私は本当に衝撃を受けた。

若い子のほとんどは、親と離れ、
仲間と共に亡命をしてきた子たちだ。

今、この記事を書きながら彼らを思い出して、
どうしようも出来ないむごさの中で、
どこまでも逞しく生き抜く彼らに想いを馳せて、
あの時私に見せてくれた命の強さに
改めて賛辞をおくりたい。

今この文章を読んでくれている日本人の私達が
いかに恵まれた環境にいるか。

社会のせいだなんだと、言いたいことも
山ほどあるかもしれないが、
私達は選べる権利があるってことを忘れてはならない、
ということを、自分のためにも、
今ここに書き留めておきたい思う。


はじめの名前はパリィカナ


ダラムサラは大きくない街だったけど、
観光地でもあるために
ツーリスト用のお土産屋さんが沢山あった。

そこで出会った、出稼ぎに来ているインド人の男の子、
その友達のチベット人カップルと
仲良くなってよく遊んでいたのだが、

その男の子が、私につけてくれたあだ名が
『パリィ』だった。

どうやら、“妖精”という意味らしい。

ちなみに、日本人女性がインドを旅行すると
最低3回はプロポーズされる、とどこかで
聞いたことがあるが、私は2回で終わった。
平均には届かずじまい。ちょっと残念である。

その彼が私に付けたあだ名と
ヒンディー語のご飯『カナ』をくっつけて

「さやかのごはん」 ならぬ
『パリィカーナ』 という屋号で
しばらくあちこちで出店していた。


グルにもらった名前


そして3回目に訪れたインドにて。
バウルのグル(導師)に貰った名前が『モハマヤ』だった。

バウルのアシュラムは東インドにあり、
ベンガル語を話す地域だったので、
ベンガル語のごはん“バート(bhat)”をくっつけて

パリィカナを改め
『モハマヤバート』が誕生したのでありました。


初期の看板


で、その名前をもらった時の話が面白くもあり
当時の私にとっては、
自分という存在の全てに揺さぶりを
かけられるような出来事でもあったので
次回じっくりと書きたいと思います。















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