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研究者の生き方はプロスポーツ選手に近い

 大学や公的な研究機関で研究者として働いていると、時給の感覚に無頓着になる。たとえ週40時間の契約であったとしても、必要とあらば夜遅くまで実験するし、休日出勤もする。企業の研究者とは異なり、大抵の研究室にはタイムカードなどないので、契約を超えた時間の労働は、持ち出し(タダ働き)である。それでも、「残業代が出ない」という文句は(ほとんど)出ない。知り合いの研究者は、休日に研究室に実験に行くと「給料に反映されないのに、なぜ休日にまで働くの?」と、パートナーに文句を言われるそうだ。もっともな指摘だ。ちなみに、そのパートナーは勤務歯科医である。

 一般にはあまり知られていないかもしれないが、国立大学が法人化され、多くのポジションで任期制が導入された現在、研究者という職業は公務員というより、むしろプロスポーツ選手に近い。プロスポーツ選手には、年俸制の選手もいれば社員として月給制の選手もいるが、試合のないオフシーズンだからといって、トレーニングを怠っているようではプロとしてやっていけない。また、休日勤務手当が出るわけでもないが、休日に自主トレすることも珍しくないだろう。体調管理のためにオフの日は作るが、「これ以上の自主トレは給料分に含まれていないから、やらないでおこう」などとは考えないと思う。厳しいプロスポーツの世界で自己研鑽を怠っては生き残れない。

 研究者も同様だ。残業しようが休日出勤しようが、それが給与に反映されることは、ほとんどの場合ない。だが、手を動かさないと研究は進まない。もちろん、普段は土日休みを取れるように実験のスケジュールを調整はする。しかし、休日の夕方に、次の日の実験の準備をするために、短時間でも研究室に行けば、1日はやく研究を進めることができる。また、投稿していた論文の修正が返ってきたり、仕込んでいた細胞や動物が育ってしまっていたりしたら、手当が出ないからといって、放置しておくわけにもいかないのだ。後々困るのは自分だからである。

 もちろん、研究が好きなので自主的にやっている面もある。研究=仕事自体を報酬と感じていることもあり、生活の糧を得るための手段とは割り切れていない研究者も多いだろう(一方で、それが「やりがい搾取」を生みやすい構造にもなっている)。コスパを軽視するわけではないが、仕事を時給で換算する人は、研究者には向いていない。仕事を生活費を稼ぐための手段と割り切っている人には理解できないかもしれない。が、研究者が給料が増えないにもかかわらず残業や休日出勤しているのは、プロスポーツ選手が自主トレに励んでいるのと同じだと理解して欲しい。


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