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ペンギンに空を飛べと要求すること

 学生を指導する立場になって、いわゆる「できない」学生に血管が切れそうになりながら指導していたのだが、ある時期から、こう思うようになった。「もしかして、能力外のことを求めている、こちらが間違っているのではないか?

 指導者側としては、大学院生に対して、研究者になるためのトレーニングとして真っ当なことを要求しているつもりだった。曰く、

  • 実験開始時間には遅れない

  • 実験ノートをきちんと取る

  • 原稿の提出締切は守る

  • 予定が変わったら事前に連絡する

  • 実験プロトコールを勝手に変更しない

  • (できるかぎり)論理的に考える

  • 集中するべきタスクに集中する

  • 研究室の掃除当番などの義務を守る

 これらのうち複数ができない学生は、一定数いる。そして、それには何らかの理由があるかもしれない。考えられる一つの理由は、睡眠障害や自閉症スペクトラム障害といった何らかの「困難さ」を持っているということだ。他の理由は、認知的な問題かもしれない。同じ世界を見ているようで、実は、世界の認知が異なるのだ。

 米国でポスドクをしていた時、どうしても時間を守れない学生がいた。何回注意しても、5〜30分遅刻してくる。そこで、その学生対して認知的なアプローチをしてみた事がある。
 『私は研究室のボスのグラント(研究費)で雇われている。つまり、私の給料にボスの金が使用されているということだ。君が遅刻して私の時間を無駄にするということは、ボスの金を無駄にするということだ。そのところを、よく考えてみてほしい』
 時間を金銭に置き換えてみたわけだ。結果的に遅刻は減った。おそらく、その学生にとって、時間的な価値観より金銭的な価値観のほうが優先度が高かったのだろう。よって、単に「時間におくれるな」と言うより、「金を無駄にするな」というメッセージのほうが心に響いたのかもしれない。

 また、ある学生は「論文がどうしても書けない」と言う。論文を書くために文献を調べていると、おもしろそうな論文を見つけて、どんどん脇道にそれてしまうそうだ。そんなやり取りを何度か繰り返した後、文章を書く順番を逆にしてみた。
 まず、定期ミーティングのときに、1時間かけて書きたい主張をその場で文章にしてもらう。つぎに、その根拠となる文献を探してもらった。最後に、文献が見つかった文章は残し、見つからなかった文章は削除していった。そのようにして、2年間かけても書けなかった論文を、2ヶ月ほどで学位審査にかけられる程度のレベルまで完成させた。
 おそらく、この学生はインプットが多いと混乱してしまい論旨の着地点が定まらないが、適切なアンカーがあれば文章が書けるというタイプだったのだろう。一般的な「調べて、書く」という順番を「書いてから、調べる」というように逆転させてうまくいった例だ。

 そのような経験から、一見「できない」学生を指導する際、『ペンギンに空を飛べと要求していないだろうか』と自問するようになった。同じ鳥類だからといって、ペンギンやダチョウに空を飛んで目的地まで行けと要求するのは、要求するほうが無茶を言っている。ペンギンやダチョウは空は飛べないが、その代わり、速く泳ぐ・走る事ができる。大事なことは目的地まで到達することだ。どのような手段で到着するかは、さほど問題ではない。

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