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研究初心者が陥りがちな罠〜テーマの選択

はじめに

 国立大学が法人化される前の古きよき時代、大学のたいていの研究室は、(少なくとも生命科学系では)ある程度自分で研究テーマを決めることができ、自力で研究を進めていく、いわゆる「放牧」型の研究指導を行っていました。現在研究室を構えている60代以上の研究室主催者は、そのような「放牧」型の環境で育った方が多いのではないでしょうか。「放牧」型の研究室では、学生の自主性に任せる割合が多いため、優秀な学生はどんどん研究が進めることができる一方で、普通の学生は試行錯誤しながら、比較的ゆっくりと研究を進めていくことが一般的でした。しかし、科学が複雑化し、進歩が加速している現在、「放牧」型の研究指導には、もはや限界が来ています。

 誰しも自分が受けた研究指導・教育を元に学生を教育することと思います。「放牧」型の研究教育を受けた指導者は言います。「学生には、自由なアイデアで、自力で研究を進めてもらいたい」と。しかし、遺伝子をクローニングしただけで、または、電気生理学的手法で神経活動を記録しただけで、一流誌に論文が掲載されていた20世紀までとは異なり、21世紀の科学では、論文として要求される質・量ともに非常に高いレベルとなっています(もちろん、遺伝子クローニングや電気生理学的な神経活動記録は、当時の最先端の技術でしたので、評価が高かったのも当然ですが)。問題は、時間的な余裕が無く、研究の量・質ともに要求される現状があることです。

 「放牧」型の研究室に入ってしまった場合、一般に、年配の指導者の思考パターンを変えることは難しいので、学生の方で「なんとかする」しかありません。このnoteでは、(生命科学系の)「放牧」型の研究室に入ってしまった「普通」の学生に向けて、研究が迷走しないように「研究初心者が陥りがちな罠〜テーマの選択」について述べたいと思います。

罠その1:おもしろそうだから

 もちろん、「おもしろそう」だから、その研究テーマをはじめたいと思うのですが、単に「おもしろそう」だけでは、不十分です。もう一つの軸として、科学的重要性が必要となります。図1は、おもしろいかどうか・重要かどうか、の2軸を図示したものです。研究テーマが領域①にある場合は、誰も文句がないと思います。領域②または④にある場合も、そもそもおもしろくない(興味がない)ので、テーマとしては選ばないでしょう。問題は領域③の場合です。初心者が陥りやすいテーマ選択の罠その1は、科学的重要性をおろそかにする、もしくは、理解しないまま、興味だけで研究テーマを決定してしまうことです。これでは、研究は楽しいでしょうが、誰からも興味を持たれない、独りよがりな研究になってしまいます。よって、研究テーマを自分で選ぶ際には、はじめは、おもしろいかどうかの評価軸を元に複数の研究テーマを考え、その中から重要性の軸を基準に絞り込むことをお勧めします。さもなくば、どうしてもやりたいと思っている研究テーマの科学的重要性や価値を発見・発明」する必要があります。また、自力で研究を進めなければならない場合、他の研究者に研究の重要性や価値を理解してもらえないと、有益な助言やフィードバックが得られないことにもなります。

図1. 研究テーマを得選ぶ際に考えるべき2つの軸

罠その2:誰もやっていないから

 初心者が陥りやすいテーマ選択の罠その2は、「誰もやっていない」から、研究テーマを選ぶことです。ですが、ちょっと立ち止まって、その研究テーマを「誰もやっていない」理由をいくつか考えてみましょう。

  1. そもそも、おもしろくない
     罠その1とも関係しますが、そのテーマをおもしろいと思っているのは、あなただけかもしれません。皆がおもしろいと考えるなら、誰かがすでにやっています。

  2. 科学的に重要でない
     これも罠その1と関連しますが、科学的に重要でないので、誰もやろうとしなかったのかもしれません。もちろん、科学的重要性を見過ごしている可能性はあります。

  3. 技術的に難しくてできない
     おもしろくて重要な研究にも関わらず、これまでに報告がないのは、技術的に難しくてどこから手を付けてよいかわからないからかもしれません。「どこでもドア」の開発は、実現すればおもしろくて価値がありますが、現時点では現実的であるとは思えません。

  4. ポジティブな結果がでない
     これが一番ありそうな理由です。最近ようやくネガティブデータでも論文として発表できるようになりましたが、一般に、何らかのポジティブな結果(仮説を支持する結果)でないと、論文として成立(発表)しにくい現実があります。以前に誰かが試したものの、ポジティブな結果でなかったので、これまで出版されなかった(なので、誰もやっていないように見える)のかもしれません。このことは出版バイアスとして知られています。

 研究初心者は「誰もやっていない」から、研究に独自性・独創性があると考えがちですが、これまでの長い科学の歴史の中で「誰もやっていない」のには、上述のような理由があるはずです。「誰もやっていない」ことを理由に研究テーマを選ぶのは避けましょう。

罠その3:一流雑誌に報告されていたから

 一流雑誌に報告されていた研究テーマは、「おもしろく」て「科学的に重要」なはずです。そうでなければ、掲載されません。ただ、すでに発表されてしまった論文と同じテーマを研究するということは、二番煎じにしかならないということでもあります。また、一流雑誌に報告されている研究は、発表までに膨大な時間的・人的・金銭的リソースが費やされていることが多いと推測されます。これから、研究を始めようとするあなたが、同じレベルに追いつくまでに、どのくらいのリソースを注ぎ込まないといけないでしょうか?研究を行うのに必要な設備、材料、手技、資金、時間は十分でしょうか?そして、それは現実的に可能でしょうか?

 一流雑誌に報告されていた研究を、まるのまま研究テーマにすることを避けるべきもう一つの理由は、流行は移り変わるものだからです。一流雑誌はその時代で一番ホットな話題についての研究を掲載することが多いです。ともすると、掲載することによって研究のトレンドを作り出そうともします。一流雑誌に研究を報告した研究室に所属しない限り、その分野のエキスパートになるためには最低5年はかかります。あなたがようやく研究テーマに慣れ親しんだ頃には、皆の興味は別の分野に移っていることでしょう。ただし、流行は巡るので、20〜30年後の再流行を狙う手もあります。

テーマ選択の罠をさけるためには

 これまで、ネガティブなことを書いてきましたが、最初に研究テーマを考えるにあたり、自由に想像を働かせ、すでに発表された研究からインスピレーションを得ることを否定するものではありません。重要なのは、たくさんの研究テーマ候補の中から実際にテーマを「選択」する段階です。では、どのようにして研究テーマを選べばよいのでしょうか?

 まず第一に考えるべきは、その研究テーマを行う研究費はあるか?ということです。世知辛いようですが、研究費がないと何もできないのが現実です。正確には、試薬やプラスチック消耗品、マウスなどの材料を用いて実際に実験をすることが必要な研究は、ある程度の研究費がないと難しいです。ちなみに、細胞や動物・植物など、生の生き物を扱う研究をWETな研究と言います。一方、バイオインフォマティクスやシミュレーションなどコンピュータ内で行える研究をDRYな研究と呼びます。研究遂行に必要な資金がない(または少ない)場合は、DRY研究の方がハードルは低いです(ただし、DRY研究でもPCやワークステーションなどの研究環境は必要となります)。WET研究でも、材料や方法によっては、お金がかからない、もしくは、少なくてもできる研究テーマを考えることはできます。

 第二に、研究を行うための手技・方法はあるか?ということです。やりたい研究テーマが、まだ誰も成功していないとしたら、それを実現化するための手技・方法の開発から取り掛からなければいけません。それには、時間も費用も労力もかかるでしょう。いま所属している研究室には、必要な手技・方法が揃っていますか?もし所属研究室に手技・方法が無くても、他の研究室や外注サービスで利用可能ならば、極端な話、お金の力で解決できるかもしれません。

 最後に、期限までに終わる見込みがあるか?ということです。その研究テーマは、どのくらいで結果がでる(論文として発表できる)でしょうか?例えば、5年の大学院期間があるとして、木星の公転周期の観察が完了するでしょうか?また、亀の老化と寿命の研究が終わるでしょうか?これらの例ほど極端でないとしても、研究に必要な手技・方法の習得に最低2年はかかるとしたら、実際に研究を行う期間は3年間で十分でしょうか?(実際に、論文を準備して、投稿、受理、発表に必要な時間を考えると、実験できるのは2年間程度しかないことになります)経験則になりますが、初めての実験を行う場合、順調に実験が進んだと仮定してかかる時間の3倍の時間がかかります。例えば、実験プロトコールに3日かかると書いてある場合、準備も含めて9日かかると見積もって間違いありません。その道の専門家に、時間の見積もりを相談してみるとよいでしょう。そして、その3倍の時間がかかると覚悟しましょう。

おわりに

 上述の3つの点に気をつけたとしても、その研究テーマに科学的重要性・価値はあるか?という問題は残るかもしれません。俗物的ですが、研究テーマに手っ取り早く価値をつける方法があります。それは、お金・時間・労力を判断基準にすることです。

  1. お金
     その研究は、結果が出た暁には利益を生むものでしょうか?もしくは、高額な費用がかかっていたものが、安価にできるようになるものでしょうか?

  2. 時間
     その研究は、これまで長い時間を必要としていたものが、短時間でできるようになるものでしょうか?

  3. 労力
     その研究は、大人数で多大な労力がかかっていたものが、少人数で簡便にできるようになるものでしょうか?

  これら、お金・時間・労力のひとつでも解決することができれば、そこには価値が生まれます。筆者は基礎研究の出身なので、「その研究は何の役に立つのか」と聞かれることが一番嫌いです。しかしながら、科学研究費や財団の助成金などの公的・私的資金によって研究を行っている以上、研究結果を社会にわかりやすい形で還元するべきであることも理解しています。なので、研究の社会貢献という意味で、これら3つの基準のうち少なくともひとつは意識するようにしています。

 研究テーマに価値をつける手っ取り早くない他の方法は、「これまでできなかったことをできるようにする」ことと、「これまでめんどくさくてやられてこなかったことを完遂する」ことです。科学の進歩はテクノロジーと表裏一体です。新しい技術によって、これまで見えなかったものが見えるようになり、これまで操作できなかったものが操作できるようになることで、研究対象がより深く理解できるようになってきます。電子顕微鏡、パッチクランプ法、次世代シーケンサー、光遺伝学、ゲノム編集などです。また、科学の進歩にはインフラも大切です。インフラが整うことで、研究はより簡便なり加速します。例えば、ヒトを含めた生物のゲノムプロジェクト、バイオデータベースやバイオバンクの整備、ブレインマップの作成などです。大規模なプロジェクトでなくとも、新しい生物のモデル生物としての可能性を探索することでも価値が生まれます。線虫のC. elegansなどは良い例です。これまで適当にしか解析されてこなかった現象を、厳密に詳細に徹底的に記述することでも科学コミュニティに貢献できるでしょう。

 本稿では、研究初心者が陥りがちな罠と解決方法について解説しました。このnoteが、「放牧」型の研究室で悪戦苦闘している「普通」の研究初心者や学生の一助になれば幸いです。

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