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研究にとりかかる前に考えたいこと


その作業仮説でよいですか?

 研究にとりかかる際に、「その作業仮説は何か?」と聞かれることがあります。これは、何も決めずになんとなく実験を始めてしまうと、どこから手を付ければよいかわからないので、「とりあえず」の仮説(作業仮説)を立てて、その真偽を問う形で研究または実験をデザインすることから始めるわけです。このやり方は、仮説駆動型デザイン(Hypothesis Driven Design) または仮説駆動型アプローチ(Hypothesis Driven Approach)と呼ばれ、研究活動では一般に行われています。ここで、見過ごされがちなことは、作業仮説は「間違っている」場合もあるということです。さて、もし不幸にも実験結果が作業仮説を支持しなかった場合、さて、どうしますか?

仮説=妄想?

 作業仮説から予想される結果と異なる実験結果が得られた場合、どうしたらよいでしょうか。素直な解釈は、作業仮説が間違っていたということです。その場合は、新しい作業仮説を立てる必要があります。もうひとつの解釈は「実験が失敗した」もしくは「実験結果が間違っていた」という解釈です。

 もちろん、「実験が失敗した」可能性はあります。その場合、コントロール実験とともにもう一度同じ実験を行って「期待した結果が得られない」ならば、結果に再現性があるので、やっぱり作業仮説が間違っていたことになります。また、そもそも仮説の真偽がわからない実験デザインを組んでいた可能性もあります。問題は、作業仮説に固執して「実験結果が間違っていた」と思い込んでしまう場合です。こうなると、研究の手がかりを見つけるための「とりあえず」の仮説のはずだったものが「証明するべき真実」にすり替わってしまい、期待した結果が得られるまで実験を繰り返すことになります。これでは、もはや仮説駆動型ではなく、「妄想」駆動型アプローチとなってしまいます。

その仮説には反証可能性があるか?

 「仮説」と「妄想」を区別するひとつの方法は、その仮説の真偽を確かめるための実験がデザインできるかということです。これは、仮説が真であることを証明するための実験と否定するための実験の両方を含みます。「妄想」駆動型アプローチの特徴は、「仮説」を証明するための実験ばかりを追い求めて、否定するための実験をおろそかにしてしまうことです。見たいものだけを見て、見たくないものを無かったものとする(または、見たくないので、はじめからやらない)のです。

ファンタジーをサイエンスに

 研究仮説を考える過程はとても楽しいものです。この論文の報告とあの論文の報告から考えると、もしかしたらこんな新しいことがわかるかもしれない。ベッドの中で、トイレの中で、お風呂の中で、ずっとモヤモヤとしていたアイデアが、あるときはっきりと形になった。これは、いままで誰も考えつかなかったことだ、すごいアイデアだ。このアイデアを確かめるためには、まずこの実験をやって、つぎにあの実験をやって、と想像(ファンタジー)は膨らみます。思ったとおりの実験結果が得られたときは興奮しますし、得られなかった場合は落ち込むこともあります。ですが、研究において、想像(ファンタジー)を科学(サイエンス)に昇華させるための、抜け道はありません。妄想駆動型の罠に陥らないように、常に気をつけなければいけません。

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