【依存的敵意】
依存は「期待」と云い替えることもできる。
だから依存心の強い人は、
「自分のことに関心をもって欲しい」「自分に気を遣って欲しい」
といった、多くの要求を抱えている。
そして「相手にこうしてもらいたい」という要求が、
実は無意識のうちにたくさんある。
そうした依存心が負の作用を及ぼすのは、期待が裏切られたときだ。
依存心が怒りや憎しみとなって現れるから厄介である。
近づいて親しみを持とうとするのも本心だが、
相手が自分の望むように行動してくれないから怒りが湧いてくる。
傷ついて敵意が生じてくる。
傷つけられたので相手から離れようとするが、
依存心が強いから離れられない。
そこで心が病んでいく。
この解決不能の矛盾に苦しんで、心は成長できない。
かまわれたいけど、かまわれるとイヤ。
干渉を嫌うが、干渉されないと淋しい。
この矛盾を隠しているからこそ、イライラが絶えない。
また、一人に耐えられない人は、嫌いになっても相手と別れられない。
「嫌い」と「淋しい」で不安な人は「嫌い」の方を選ぶものである。
酷い配偶者と別れた方が幸せになれると分かっても、
一人になるのが不安な人は、酷い配偶者と別れない。
依存心の強い人というのは、
こうして、最も身近な人、自分にとってかけがえのない存在の人に、
強く敵意を抱くことになる。
これを「依存的敵意」という。
勝手に依存心を抱いているのは他ならぬ自分なのに、
それに気づかず、相手をコントロールしようとするのだ。
ただ、幼少時に何らかの理由で
親からの愛を十分に受けられない環境で育った人は、
自分を抑えて周囲の期待に沿わなければ愛情を得られないと思っている。
そこで尽くすことでしか相手と関係を維持できないのは、
人から尽くされたいという激しい欲求があるからだ。
大人になっても親の愛を求めるあまり、
恋愛の相手や配偶者に「親」の役割を求めてしまうこともある。
こうした人にとって、愛する人との関係は
「赤ちゃんが泣く→母親があやす→赤ちゃんの思い通りになる」
というものでしかなく、そこからの発展も成長もない。
望む無償の愛など手に入らないのだが、
相手が無償の愛を差し出さない証拠を突きつけ、
相手を罵ることが実は本分なのではないか、とも思える。
また、このような人物に引っかかるのは、何らかの理由で
「自分には何か足りないものがある」と思いがちな人で、
「自分に至らないところがあるから怒られるのは当たり前だ」
という思考パターンの持ち主が多い。