私的ミニマリズムは私のマキシマム。
「お気に入り」
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こんな風に私たちがSNSをスクロールしていたらどんどん現れるお気に入りという言葉。
気に入っているもの。それってエネルギー的に見たらどんなものなんだろう、とふと考えてみたんです。
そして私は「自分の気が入っているもの」と定義することにしました。
さて、私はよく周りから「ミニマリストだよね」と言われます。断捨離も、物の整理も、大好きです。
実際、過去4年のうち4回引越しをしましたが、最初の3回は自分1人で物を運んで引っ越しができるぐらい、直近の少し距離のある引越しも、羽毛布団や寝るときに抱きついているIKEAのでっかいクマさんを入れても10箱ぐらいには収まりました。
でも、実は「ミニマリスト」を目指していて物を断捨離しようとか、少なくしようと思っているわけでもなく、生産性や実用性を目指して物を減らしているわけでもないんです。
そしてここで繋がるのが「お気に入り」。私の物を手放すタイミングや物差しは、「私の気が入っているかどうか」なのです。
私の中で私の気が入っている(=気をかけているもの)とは以下のようなものです。
埃をかぶっている本や、いつ買ったか分からない旅行先で買った置き物。ずっと日の光に当たることもできず、しまいっぱなしの洋服。
このようなものは、私が気を使えていない、私の気が入っていない物の証拠で、それは私が所有主でずっと保管していたとしても「大切にしている」とは言えないと思ってしまうのです。
そして、私の気が入れられる量には限りがある。
大切な人たち、本や洋服、コスメやアクセサリーから、お掃除グッズに、オフィス用品など。
こんなに沢山私とエネルギーの関係性を持ってくれているものがあるのに、それを大切にできないことが、とても歯がゆい気持ちになるのです。
私の家にある以上、私の気が入っていないものを置いておくのはそのものに対して申し訳ない気持ちになってしまう。だから、そういうものは、売りに出したり、必要そうな人がいたら譲ったりしています。
正直これが私の手放すべきコントロール欲なのか、それともただ本当に私のエネルギーキャパシティの問題なのかはまだ分かりません。
でもとにかく、この私の気がかけられるキャパを超えない程度にだけ、物を置いておきたい。
そして何でもかんでもそこに物を突っ込んでいたら、私がキャパオーバーになってしまうのは言うまでもないことで。
その結果、物が少なめである。ということなんです。
ミニマリストである、というよりは、私の中のマキシマムがミニマルであったということなんでしょうね。
お気に入りだけを周りに置く。
これが私の選択☺️
PS:あ、先ほど書いたところに一つ訂正箇所があります。1人で物を動かして引っ越した… というところ、実は弟を1日1アイスで買収して一緒に運んでもらいました☺️
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