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一度音楽を諦めた凡人が、有名音楽雑誌に掲載されるまでのお話①

はじめまして!

CerveteriというハードロックバンドでボーカルをしているHinaです。

note、始めてみました。

私は群馬県在住のミュージシャンで

ボディアート屋/デザイナー/ハンドメイド作家/ボーカルインストラクター

という様々な肩書き?をもつ人間です。

タイトルにある通り、
一度音楽を辞める!と決意してから
色んなことがあって
BURRN!にインタビューを掲載してもらったり
ディスクユニオンのチャートで1位をいただいたり
今はなんだかとても
ありがたい環境に居ます。

あの時完全にやめなかったことによって
結果的にCerveteriというバンドで歌っているわけですが・・・

なぜ"辞める"とまで思いつめたのか、
そこからどのようにしてバンドを結成して
"有名音楽雑誌"に掲載されるようにまでなったのか。

前半戦は自分語りでめちゃ長いのですが
興味のある方は読んでみてください〜

売れてるバンドマン!!
のお話ではないので悪しからず。

これからオーディションを受けまくるぜ!!
今受けまくってるぜ!!
という人もぜひ。
幻滅するかもしれないけど。


ステージという場所を知った日

バンドを初めて結成しようと思ったのが
たしか中学2年生の頃。
あの時はベースを持ってました。
SOPHIAというバンドのベーシスト、
黒柳さんに憧れていたり
凛として時雨の345さんに憧れていたり。
理由は色々あったけど
弦が4本しかないし
見た目がかっこいいから
というどうしようもない理由(笑)

そもそも、バンドマンという生き物が
とにかくかっこよく思えて・・・
自分もそうなれたらいいな
なんて淡い幻想を持っていたw

高校1年の時。
浜田麻里さんのコピーバンドで
バックボーカルとしてステージに立たせてもらったのが
人生で初のステージでした。
そして高校2年生の時
友達の友達、にバンドに誘われて結成。
全然覚えてないんだけど
カラオケに行った時に私の歌を聞いたらしく
それでボーカルとして声をかけてもらったっぽい。

同じ年の6月。
初めて自分のバンドのボーカルとして
ステージに立ちました。

高崎にあるTRUST55というライブハウスの
学園天国という
学生限定イベントでした。懐かし。

高校生のネットワークってなんかすごくて
初ライブということも手伝って50人くらい
みに来てくれてたかも。
チケット代なんて500円とかそこらだし
気軽に来られたんだろうな。

1曲目はDEEP PURPLEのHighway star、
他にはBlack night、
Smoke on the water、
を演奏したことをよく覚えてる。

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