ことばはときに、誰かがなにかと戦ってきた証
「風呂キャンセル界隈」という言葉がいつのまにかこの世を暴れ回るようになった。
当初はうつ病の人が、どうしても風呂に入れない状態のことを「風呂キャンセル」と呼んでいて、共感を集めた概念となった。
言葉だけが一人歩きすると、言葉は拡大解釈されがちだ。
いつのまにか「風呂に入るのが苦手な人」まで範囲を広げた。
言葉は生き物だから、使う人が増えれば当てはまる人も増えていくという性質がある。仕方がないことなんだけど、当初この言葉に救われた人はちょっと気の毒だな、と思う。
ぼくも、冬になるとほぼうつ病になる。
季節性のうつで(確定診断は出たことなくて、病院行ってもいつもグレー、大体病院行った後悪化するからほぼそうだろ、と思っている)、春になるとケロッと治りはするのだが、冬の間は毎日死に方と生き方を考えている。
ひどい時は時間と日付の感覚を全て失って、冬眠する熊のようにひたすら眠り続けることがある。風呂どころか、トイレにいくのも這って布団から出たりする。
風呂?なんだそれ
「今日風呂入るのめんどくさいからやーめた」というレベルじゃない。そもそも起き上がっていられない。起き上がったら何故か涙が出てくる。それはとても不快なので、横になってスマホを眺める。気づいたら朝が夜になっているような、夜が朝になっているような気がする。いつ終わるのかわからないトンネルの中で、きっとあるのであろう出口っぽい方に向かってハイハイする日々。
みたいなぼくよりずっとずっとひどいうつ病の人が「風呂キャンセル」と言うポップでキャッチーな言葉を生み出し、仲間を増やし言葉で連帯した。
言葉というのはわりとそうだ。
たとえば性自認の一つとして結構市民権を得てきた「Queer」という言葉は、もともとゲイや性的にマイノリティとされてきた人々を揶揄していう言葉だった。それをむしろ誇りを持って自称しよう、という流れの中でポジティブに捉えられ始めた。Queerを自認することに対して否定的なコミュニティもあれば、プライド高くQueerであることを自認する人々もいる。でもどちらの側面から見ても、Queerという言葉をめぐる戦いがあったことは確かなわけだ。
作られた言葉は、誰かが自分や他の誰かを守ろうとしたり、連帯しようとして生まれた結果であることが多い。
もちろん、風呂キャンセル界隈なんて気軽に使うな!とは言わないけれど、その言葉の裏にはたくさん血と涙が流れているということは忘れたくない。
おれはそもそも「界隈」という言葉がなぜか台頭しているのがおもろい。
何発信?
いや、どこ界隈がアルファ?